もう今まで会った人たちの記憶から消えたい。恥ずかしいことや失敗を何度も思い出してしまう。
でも、笑えることたくさんあるし、家族とか、周りも優しい人ばかり。死ぬのがとても怖いタナトフォビアだし。なのになんで消えたいとか思っちゃうんだとか思って自己嫌悪。
家族は頑張ってるとか、成長してるとか言ってくれるけど、自分でそんな感覚が全くない。頑張ったことないし、成長したのかもよくわかんない。自分がよくわからん。なんなら怠惰な性格ですぐ諦めて努力なんかできない人間だと思ってる。
頑張ったって言われても、それはみんな当たり前にできなきゃなことでしょ?って思っちゃう。だって頑張ったんなら、自分でも実感できるはずだもん。
多分ひねくれてるんだと思う。そんな自分が大嫌い。私は無能な人間だと思う。将来不安しかない。
前向きな言葉を貰っても、それさえもネガティブな感情に変えてしまう。無意識なうちに自分は無能でバカっていう自己暗示をかけちゃってるのかなあ。
小さい頃は明るい方だったのに。いつの間にかこんな根暗人間になっちゃって、親は悲しいだろうなあ。ごめんなさい。かなしい。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
七星
将来に不安を感じているのが伝わってきたよ。
だから、今、どこまで出来ているのかいないのか、何をやるべきか、やらなかったらどうなるのか、全てに確信が持てないし、自信を持てないんだ。
君は昔は見えなかった、具体的な「将来」や「未来」がうっすら見えてきた。
そしてそのためには「行動」と「自己決定」をしないといけないことに気が付いてきた。
あと少しで、これまで親が示してくれた人生のレールはなくなり、教師から教わったことを忠実にこなす勉強生活も終わる。
だから、その先が見えず、頼れる人が自分だけになってしまう。
あのね、死と生は全く性質が違うんだ。
生の最後が死だ。だから生きた後に死ぬ。死んだ後に生きるとか、死にながら生きるとかは理論上は成立しない。(幽霊やゾンビにならあり得るけど。)
そして、生は今この時も感じることが出来るけど、死は死ぬまで分からない。死んだ後も意識があるかなんてその状態にならない限り、分からない。
でも、生の不安を死という不明なもので、相殺する。するとね、不思議な反応が起こるんだ。
何と、死が生きる上で必要なことをやらなくてもいい理由になるんだ。
不安から逃げる理由を死にしたら、なんかそれをやらなくてもいい気になるんだ。
だから生活の中で困難を感じる度に、死を頻繁に引き出すようになる。
でも、本当はそれは悪循環なんだ。
君は褒められるために頑張ってきたのかい?違うんじゃないかな。
出来はどうであれ、きっと自分にとって苦手なことや難しいものだってチャレンジしてきたはずなんだ。つまり自分の力で頑張ってきたんだ。
それは紛れもなく君の実力さ。
もっと自分自身で考えて、その通りに行動すれば、それが自信になる。
自信が持てれば、自立は決して不安なものではなくなる。
勇気を出して、自分自身で考えて欲しい。
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