大人の階段昇る 君はまだシンデレラさ
幸せは誰かがきっと 運んでくれると信じてるね
少女だったと いつの日か 想う時が来るのさ
ガラスの階段降りる ガラスの靴シンデレラさ
踊り場で足を止めて 時計の音気にしている
少女だったと 懐かしく 振り向く日が来るのさ
(H2O 『想い出がいっぱい』より)
この曲を初めて聞いた頃は、確かに少女だった。
幸せは誰かがきっと運んできてくれる…
いつか王子様が…だったな。
大人の階段登りながらも、大人と言う時間が迫ってくる怖さを感じていた。
固くて、壊れやすいガラスの靴から、ガラスよりも柔らかくて壊れない革の靴にはきかえるのが怖かった。
尖ってて。
前だけ見て走っていた。
丸くなるのが、怖かった。
大人と言う、責任を負うのが怖かった。
汚れるのが怖かった。
今?
相変わらず尖ってる。
前しか見てない。
大人の責任を負っているけど…怖くない。
汚れちまったけど、汚れてない。
もうドレスは着られないし、ガラスの靴もはけない。
それが淋しいし、悲しい。
でも、革の固い靴をはくのも拒否した。
自由に動けるように。
走れるように。
しかし。
本当はガラスの靴じゃないんだってね。
原作を訳した時に『リスの革』と『ガラス』という単語を間違えたらしい。
でも、ガラスの靴の方が、感じが出るよね。
>幸せは誰かがきっと 運んでくれると信じてるね
少女だったと いつの日か 想う時が来るのさ
偶然ですが、今年の夏頃、私もこの歌詞を
ぼんやり思い出して、ぎょっとした記憶があります。
この歌詞って、他力本願の塊じゃないか!と!
で、私は、こういう歌詞の世界観に(当時中1)、
どっぷりはまり込んで悦に入るタイプでもあるので、
今思えば、なんにも見えてなかった・・
もっとあの頃、コツコツ、見た目にはダサいと思われてもいいから
小さいことの達成していく生活していれば、
ここまでの劣等感の塊には、ならなかったろうに、と
戻らない時間を憂いました。
人からどう見られるか?のみしか、生きる軸がなかったので
(考え方の引き出しが他にはない)
カッコばかりつけていたし、ちょっとつまづくと
全部放り投げることのオンパレードでした。
が、実際、時間は戻らないので、この歳でやってます。
やってみると、結構たのしい側面もあるんだけどね。
(やってみたからわかった)
社会人入学みたいなもんか?
まいたん