友達に彼氏ができた。
周りの人は心の底から祝っていた。
私は周りに合わせることしか出来なかった。
何も思わなかったから。
友達が良い点数を取った時、表彰された時、
私は在り来りな言葉しかかけてあげられない。
自分自身も何があっても何とも思わないようになっていた。
推しのイベントも気がついたらネ友に影響されたありきたりの言葉だけをツイートして中身は空っぽ。周りの子の感動してる様子をみてただただ悲しくなるだけの日々。
こんな私に存在価値なんてないよね。
すべてが面倒になってきたよ。
夏休み明けまで私が生きていたら褒めて欲しいな。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ごろー
こんにちは、さらささん。
このお返事が読んでもらえたなら、嬉しいです。
> 悲しくなるだけの日々。
お手紙に上だけかも知れないですけど、
悲しさは感じているように
私には感じました。
私は喜怒哀楽の怒り以外は
実感をもった感情はほぼないです。
最近はこれは他の人が
言っている楽しいというものに
類似してそう。
説明面倒で、楽しいという言葉を使うようになりました。
喜びは当たりがあったような刹那的なものはあります。。
言葉や文章にして、
外に表現されるこの単語は
とても醜いものです。。
こんな私ですがこうしてお返事をしながら生きてます。
感情在り方が他の人と異なっていそう。
それはただの違いであって、
価値の有り無しを決めるものではないと私は思います
さらに多くの人と
感じ方・考え方が違う=無価値。
今の時代にもあわない考え方だとする世の中の流れを私は免罪符に使ってもいいと思うのです。
感性の違いが人の価値の優劣を決めるとは私は思わないし、思いたくもないです
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください