これは終わった恋。いや、もとより始まってすらいない恋だった。
始めたくても始められない恋だった。
そもそも恋だったのかどうかすら怪しいのかもしれない。彼は塾講師だったから。
学生が先生に対する憧れを好意と勘違いしまうなんてことよくあるでしょう?
でも、勘違いしてしまうくらい彼のことを見てしまっていた。目で追ってしまっていた。
私は勉強が好きではなかった。
分からないから。問題が解けないから。たくさんの人が教えてくれるのに理解が出来なかったから。せっかく教えてくれたのに結果が出せなくて、それが申し訳なくて、頼ることも出来なくなった。
でも彼は。彼だけは。何度同じことを聞いても、我儘を言っても、優しく教えてくれた。
どんなに点数が悪くてもよかった所を見つけてくれた。頑張ったね、偉かったね。次もこの調子で頑張ろうって言ってくれた。
今思えば塾の先生として彼は私に接していただけなのだろう。でも私にはそれが泣きたくなるくらい暖かくて柔らかい光だった。その光は、私の生きがいにすらなっていた。
彼の存在が希望になってしまった。
こんな気持ちは抱いてはいけないのに。彼にとってこれはきっと邪魔で気持ちの悪い醜い感情。迷惑でしかないのに。
どんなに嫌いな勉強も彼が教えてくれた教科は少しだけ頑張ろうと思えた。教えて貰ってるんだから、少しでも点数あげようと思った。色んな人から見捨てられた私を休日にわざわざ教えに来てくれる彼に見放されたくなかった。
テスト前、不安でどうしようもなく苦しくて、でも心配かけないようにと思っていつもどうり振舞っていたつもりの私の冷えきった手を、私よりも大きくて暖かい手で包んで大丈夫だよ。と言ってくれたことをいつまでも忘れられずにいる。彼だけが私の表情が硬いことに気付いてくれた。
だけど彼は、どれだけ努力をしても、点数をあげても、私の名前を呼ぶことはなかった。
名前を覚えてないのかと思ったけれど、そういう訳では無いらしい。私の友人の名前は呼ぶのに、私だけは呼んでくれなかった。
あ〜、彼もきっと呆れてるんだな
と思った。彼へのこの気持ちは捨てなくてはいけない。
私は、彼のいやな所を探すようになった。
人間誰しもこの人のこういうところがいやだ、というものがあると思ったから。いやなところが見つかれば、嫌いになれると思ったから。
でも、嫌いになれなかった。
いやなところは沢山あった。それでも嫌いになれなかった。
いやなところを探せば探すほど、今まで知らなかったいいところも沢山知ってしまった。
忘れることすらできなくなってしまった。
今まで以上に彼を目で追いかけるようになってしまった。今まで以上に勉強をするようになった。努力だけでもしようと思うようになった。
でもある日彼は、塾講師をやめてしまった。大学を無事卒業して社会人になるから。
もう彼に会うことは出来なくなった。彼が教えてくれた科目の期末テストの点数も、1学期の成績も、報告が出来ないまま会えなくなってしまった。インスタは教えてくれたから知っているけれど繋がれるわけが無い。
お礼も言えないまま会えなくなった彼を、私は今でも忘れられずにいる。せめて今までのお礼が言えていれば諦めがついたかもしれないのに。
彼女できない〜と会う度に言っている彼の目には私のことなんて眼中にもなくて。
私だけがずっと彼のことを見ている。私だけがずっと忘れられずにいる。きっとこれから先の長い人生、忘れられないと思う。まだ生まれて10数年だけど、こんなに知りたいと思った人は彼が初めてだったから。
先生、私のこと覚えていますか?貴方に初めて英語
を教えて貰った時、赤点で学年最下位だった私は、自力で50点台を超えれるようになりました。
世間的に見たらまだまだ低いけれど、1桁台の点数を取っていた私からしたら凄いと思いませんか?
また貴方に褒めて欲しくて、会えるわけが無いってわかっているのに頑張っているんです。貴方のおかげで、少しだけ勉強が好きになれたから。お礼が言いたかった。
そして、私が知った貴方のいい所を沢山吐き出してからお別れしたかった。
いつも自分のことを卑下しているけれど、いいところが沢山あるんです。
どうか、自分を大切にして幸せになってください。
もしもまた会えたら、少しだけでいいから、あの時みたいに私よりも大きくて暖かいその手で私の手を握って褒めてくれると嬉しいな、なんて。