こちらが思いやりをもって接しても、相手がそれを『思いやり』として受け取ってくれない場合は、どうすればいいのだろうか……
こちらが伝え方を変えるべきなのか。
相手が受け取れる態勢になるまで待つべきなのか。
何はともあれ、人付き合いとは難しいものだ。
……生き物全般そうか。愛犬や愛猫、畑の野菜などなど……上手く付き合うとなると、なかなか大変なことなのだろうと、そう思う。
試行錯誤か……
今まで人類が生きてきた歴史から学べることはあれど、個人としては必ず死を経てリセットされるからなあ。
ぼくらはいつだって1からスタートせねばならんわけだ。
今わかっていることも、かつてはわからなかった。
今わかっていることを、時々忘れることもある。
ぼくは、
『思いやり』のパターンをすべて知っているわけではないし、
苦痛を持ちすぎて、人に対する『心』を持てないこともある。
それでも、それを許されながら、ぼくは生きていくんだ。死ぬまで何かを学びつづけるんだ。そしていつかきっと、幸せになるんだ。
あきらめない。理想の世界を。夢を。
もちろん口だけだよ。でもそれだけのことがぼくには大切なことなんだ。心だけは、忘れないように……ってね。
何もできなくていい。何もできないがゆえに、ぼくの身体が自殺をしようと、それでも……精一杯生きろ。
まあこれも時々忘れるから、時々思い出すように、何回でも書き留めよう。
これはそんな小瓶。
おしまい
ありがとうございました。
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ななしさん
お返事ありがとうございます。
そうですね……『思いやり』という名のものは少なくとも相手への心遣いがあるのではないかと考えております。ですが、『思いやり』の名を被った『お節介』は自身のための行動という側面が強いかもしれませんね。
でも、私の考え方の内のひとつには『全て自分のため』という自分勝手論みたいなものがありますので(相手に届けるためも自分のためのような……)、私の最終回答としてはやはり『自分のため』ですかね。(それが相手への思いやりになったらいいな~と考えてます)
これとは別の考え方も人の数だけあるのかもしれませんが、今この場の私はこの思考ということで。
考える機会を与えてくださったお返事に感謝いたします。
ななしさん
思いやりって相手に届けるため?
自分のため?
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