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頑張ることについて

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最近思うこと。言葉の使い方に気をつけなきゃいけないということ。周りの人が嫌な思いをしないように、極力気を付けている。気を付けているつもりでも、「あれ、なんかいつもより上手く喋れてるかも」と思うと調子に乗ってしまって、失言することもある。そういうときは「なんでもっと気を付けなかったんだ」と自分を責めまくる。
失敗したときとか、大学の授業で大勢の前で指名されて、間違えて恥をかいたとき、心の中で「何やってんだよ」「なんでこんなのもわからないんだ」「馬鹿じゃないの」と自分に向かって思い始める。思い返せば、全て物心ついて間もない頃に、親や先生、学校の同級生とかから言われていた言葉だった。
まだ保育園児だった時のこと。とある同級生が机に落書きをしていて、先生がそれを見つけたことがあった。俺はそれを見ていただけだった、そんな記憶がある。でも、その同級生が「〇〇君がやりました」と、俺のせいにしようとしていた。当時、小学校に上がる前の最高学年だった。俺は「ちがいます」と否定しようとした。でもなぜかそのまま、俺がやったことになっていた。最後の方は、俺は多分泣きながら先生に怒られていたと思う。それで先生から「なんで怒られてるかわかる?」と聞かれ、泣きながら「机に落書きをしたから」と答えた。すると「うん、また一番赤ちゃん組のクラスからやり直しだね」と言われたことがあった。そのあとで先生がクラスのみんなに「みんなはなんで彼が怒られてるかわかるよね?」と聞いた。みんなは一斉に「嘘をついたから」と答えた。それで俺は、さらに泣いてしまった。そんな記憶がある。もう、15年くらい前のことだ。もしかしたら、この頃から、「自分の意見を主張しても、どうせ聞き入れてもらえない。だから、何も言わずに黙っていた方がいい」というひねくれた考え方が、心の中で根を生やし始めたのかもしれない。また、「失敗したり、間違いを犯したら、こんな風に、みんなの前でさらし者にされるんだな」と心の底から思ったのかもしれない。保育園での他の記憶としては、給食を食べるのが遅くて焦りながら無理やり口にかき込んでいたこととか。おしっこが漏れそうなのに「トイレに行きたいです」と言い出せなくて漏らしてしまったりとか。同級生に腹を殴られても、なにも反撃しなかったりとか。そんな感じだったらしい。楽しかった記憶は殆どない。今考えても、保育園児の頃から、自分の言いたいことを我慢して、心の中にため込むタイプの、いわゆる「内向的」な子どもだった。
小学校の先生も、授業中に普通に喋っていると思ったらいきなり「うるさい!」「静かにしなさい!」と、怒鳴り気味に言う感じの人だった。はっきり言って、だんだんクラスがうるさくなってきたり、明らかに先生の表情が曇ってきたとわかったら、ものすごく怖かった。クラス内がうるさくなってきたら「また怒られる。俺は静かにしてるのに。何もしてないのに授業は止まるし、雰囲気は悪くなるし、もう嫌だ」と思っていた。でも「みんな静かにしよう」とか、そんなことは一言も言わなかった。言ったら白けてしまうし。大声でぺちゃくちゃと喋ることはなかったにしても、そんなふうにクラス内の悪い雰囲気に迎合していた。もうこんなくだらないこと、忘れてしまえばいいのに。なんで未だに、保育園の先生とか、小学校の先生とか、もう二度と会うことのない人の言葉を思い出して、自分を苦しめているんだろうか。

小学生3年生くらいのころ、みんなが一斉にサッカーを習い始めたことがあった。その当時、俺もやろうかなと思っていたことがあった。でも、水泳を一年半やって辞めたこともあったり、その当時からだんだんと体育が苦手になり始めていたこともあり、親からも「長く続ける気がないのにやってもしょうがないでしょ」と言われ、結局サッカーには挑戦しなかった。結果的にはゲームしかしなくなって足も遅くなり、鬼ごっこで足の速い同級生に挑発されたり、その同級生がわざわざ他の人から鬼をもらって俺のところにタッチしにきたりと、散々な目にあった。足の遅い自分が情けなかった。今思い出しても、その同級生を「あの場で殺してやってもよかったのに」と、そう思うことがある。今思えば、サッカーとか野球とか、そういうハードなスポーツに打ち込んで、人生が自分の思い通りにはいかないということを、もっと子どものころに経験するべきだったかもしれない。その分、自分の努力が、スポーツよりはわりかし結果の出やすい勉強に全振りされて、中学の時に学年1位になれたりとか、親は高卒だけど大学に行けたりとか、結果的に良かった面もあったかもしれない。

でも、「どうせ俺には無理だから」「勇気を出して挑戦しても、どうせ失敗するから」そう考える卑屈なマインドセットは、保育園で大勢のクラスメイトの前でさらし者にされて怒られた時から、大して変わっていないかもしれない。親や先生に自分の意見を聞き入れてもらえず、ただ怒られることを避けるため、機嫌をとって褒められることだけのためにいい子でい続けた、そんな経験だけが未だに尾を引いているから、「本当にこれでいいのか」「何か、間違いを犯しているんじゃないか」と考え続けていることが多い。小学校高学年くらいから親や先生から褒められるため、叱られたり怒られたりすることを避けるためだけに勉強し、努力していた。そういうのが災いして、ただ与えられたタスクをこなすだけで、自分でやるべきことを探す能力の欠如した、今の俺が出来上がったのかもしれない。なんの面白みもない人間として完成された、今の俺が。

「考えすぎ」「真面目すぎ」「優しすぎ」「悲観的すぎ」日ごろからよくそう言われている。でも、小学校や中学校では「周りの人に嫌な思いをさせないように」「何事にも真面目に取り組むように」「自分の行動が周りからどう見られているか、よく考えて行動するように」そう習ってきたんだから、結果として「考えすぎ」「真面目すぎ」「優しすぎ」「悲観的すぎ」な人間が出来上がっても、しょうがないんじゃないのか。こんなことを言ったら責任転嫁になってしまうかもしれないけど。周りはいつも先生の言うことを聞かずに授業中もぺちゃくちゃと喋ってばかりの人だらけだったんだから、俺くらいは真面目に授業を受けるしかなかっただろ。授業中に指名されて間違ったらものすごく恥ずかしかったりしたけど。今でも大学の授業中に先生に指名されて上手く答えられないと「恥ずかしい」と思うこともある。

学校では「周りの人に嫌な思いをさせないように」「何事にも真面目にとりくむように」「自分の行動が周りからどう見られているか、よく考えて行動するように」そう言われるのに、真面目なだけ、優しいだけの人間は、結果的には社会で生き残っていけない。それは自分の両親を見ていてもよくわかる。「たとえ他人を押しのけてでも、蹴落としてでも、自分の地位を高めるためにのし上がらないといけない」そう頻繁に言われてきた。きっと俺と同じで、働いている間はお人よし全開で周りの人に優しくしているんだと思う。その分家でよくいろいろと職場やお客さんの愚痴を言っている。
家では弟がよく「死にたい」と言っている。冗談半分のつもりなんだろうけど。そして今通っている大学では、友達がよく「死にたい」と言っている。家でも大学でも、日常的に「死にたい」という言葉を聞き続けている。「死にたい」と思うこと自体が悪いことだというつもりは全くない。ただ、「俺だって死にたいんだよ‼」と、のどがつぶれるほど大きな声で言い返したくなることだってある。でも我慢している。「死にたい」なんて言ったら怒られる。叱られる。「せっかく生まれてきたのに、生きるのが嫌になったから自分で命を終わらせるなんて、この上なく卑怯な逃げ方だ」そう親に言われたことがある。でも、打たれ弱い自分のことと、厳しすぎる社会のことを考えると、どうやっても未来に希望が持てなくなることがある。あえて「死にたい」という気持ちに対してなにも考えないでやり過ごして、なんとかここまで生きてきたけど。

初めて宛名のないメールで小瓶を流した約1年前、あの時に比べたら、アルバイトが続いていたり、TOEICや簿記の資格を取ったりと、自分のレベルが上がっていると感じられることもある。でも、会話中に失言してしまったら「なんであんなこと言ってしまったんだ、俺はなんて駄目なやつなんだ」と自分を責め始める。アルバイト中に何か失敗したり、やらかしてしまったら、「なにやってんだよ」「そんなこともできないのか」と自分に言い始める。全て、怒られるときや叱られるとき、いじめられるときに誰かに言われたことのある言葉だ。やらかしても周りからあまり咎められることがないと、その分、自分で自分を攻撃し始める。小学校や中学校時代に教えられたことを「自分に自信をもってはいけない」「自己主張をしてはいけない」「一度聞いたことは完璧に覚えないといけない」そう拡大解釈している部分があるんだと思う。自分に自信がないから、言動も行動も、当たり障りのない、無難なことしかできない。強い言葉を使えば、その分だけこの世界に、自分の敵が増える。自分に対して批判的で攻撃的な言葉を浴びせてくる人の言うことなんて、聞き流せばいいだけなのにな。気が付けば、小さな声で、当たり障りのないやんわりとした言葉遣いで、嫌なことがあっても言い出さない、そんな感じで人と喋っている。「それで十分じゃん」と言われることもあるけど、誰の印象にも残らないんだよな。そもそも、親しい人と話すとき以外は、特に初対面の人とか、2、3回くらいしか喋ったことがない人との会話では、言葉遣いに細心の注意を払って、傷つけないように、嫌な思いをさせないように、そう思いながら喋る。その結果、会話後にすごく疲れていることもある。コミュ障で根暗だから、自分と対極の人が大勢いるような場にはあまり参加しないようにしている。そもそもコンビニのレジとかでも「店員さん今忙しそうだから何買うか悩んでるふりしてよう」と思って、早く買って帰りたくても様子をうかがうこともある。
周りの友達で、彼女ができたという人も増えてきて、羨ましいと思うこともある一方で、「どうせ俺にはできないでしょ」と、気が付けば自分にそう言い聞かせている。そもそも、こんな自己肯定感の低い人間を好きになってくれる人なんていない。いたとしても俺を上手く利用したいだけだ。もはや、彼女なんていない方が幸せに生きられるかもしれない。

大学入学当初から興味があって、最近始めた公認会計士の勉強が、ここ一ヶ月くらい手についていない。興味があって始めたのに。俺の取り柄は、真面目に頑張ることだけなのに。頑張らなきゃ。弟の手本になるためにも。弱音なんて吐いてる場合じゃない。人の表情や態度から考えていることを推測できるんだから、頭の回転は速いはず。周りの人はみんな頑張ってるんだ。周りの人よりコミュ力とか運動神経とかで劣ってる俺は、勉強で人一倍頑張ってやっと人並みなんだから。もっと頑張らなきゃ。周りの人に置いて行かれないように。何とかして追いつくために。もっと頑張らなきゃ。
176176通目の宛名のないメール
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ななしさん
私は中学校で英語の教師をしていた者です。初めて開いたサイトでたまたまあなたの投稿に出会いました。コメントさせてくださいね。

全部読んで、あなたはとても真面目な人なんだなって感じました。
幼少期に受けた精神的なダメージは大人になってからもひきずってしまうものです。
感情や行動がその影響を受けてしまって苦しむ人は多いです。
嫌な事をすぐに忘れてしまえたらいいんですけど、辛い事ほど残ります。
場面の違いはあるにせよ、そのような苦しみを抱えながらも他に悟られないように普通のふりをして何とか生きている人は他にもいます。
まず、同じようなしんどい人がこの世には存在している、あなたは1人ではないということを認識してもらうことできますか?お願いします。

私自身もそんな境遇だったのですが、そして50才になった時に、教師を志したわけなんですけど、ここに来て初めて「あんな最低な経験を自分の人生において生かせることがあるとは夢々思わなかった」という感情に至り、人生は最後まで走りきってみないとわからないものだなと現在の自分は思っています。

相談に行くと「過去は変えられないから受け入れるしかない」「過去を見つめず未来を見つめて」など言われます。
「受け入れる」ってどういうこと?って思いますよね。受け入れられないから苦しいんですもの。
("受け入れるとは諦めること"と言った精神科医の言葉で、今はそのニュアンスだけはつかめました)

人間界も弱肉強食ですよね、動物界と何ら変わりません。
でも人を平気で傷付ける悪人ばかりでもありません。
そこは踏まえておかれた方がいいかも(^^)

最後に、あなたが書いてらしたようにわたしはあなたを「面白くない人間」だとは思いません。
これだけの力強い文章を書く人です。
つまらない人であるわけがない。
なかなか人がしない経験もして来られている深みのある人にみえます。

また、「もっと頑張らないと」と書いておられたことには、わたしはある面、賛成です。
頑張る人には頑張る人が寄ってきます。
"相手がどんな人かわからない時はその人の友達を見なさい"という言葉がありますが、そんなように不思議と釣り合う人が集まるものです。
だから向上心を持ち頑張ることは、あなた自身の周囲環境をも自然と変えることにつながります。

ただ、注意すべきは、苦しい幼少期を過ごした人は自己評価が低かったり、自分をどう大切にしたら良いかわからないという悩みを合わせ持つ場合がありますから
そこを利用し搾取しようとする悪い人のアンテナに引っかかりやすいです。
自分を搾取されないように注意してください。
「あれっ?」と感じたら近寄らないことです。
あなたがそんな目にあわないように祈っています。
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以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
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