不思議だね。
あんなに殴られて暴れられて恐ろしかった人なのに、それを思い出すと今でもつらくなるのに、今、私の心の中に浮かぶのは機嫌が良い時の母の笑顔。
名取と師範免状も取った民謡踊りを楽しそうに踊っているところ。
大好きな果物や鰻や穴子や筋子や大切りの鮭を美味しそうに頬張っているところ。
親類の山で嬉しそうに山菜採りやキノコ狩りをしているところ。
母の実家で母の姉妹や両親と楽しそうに話しているところ。
孫たちに冗談を言って笑っているところ。
男勝りに生き生きと仕事に励んでいるところ。
一緒に旅行に行った時の嬉しそうな笑顔。
長く、本当に長く重い精神病を患っていた人だったけれど、怒りの発作は本当に恐ろしかったけれど、
楽しそうな場面や嬉しそうな場面も結構あったんだね。
怒り狂っている時だけの記憶じゃなくて、楽しそうな嬉しそうな記憶もあって本当に良かった。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです
とりす
ななしさん、ご丁寧な返信ありがとうございます。
ななしさんはお母様の事のみならず、お父様の事でもいろいろとご苦労されたのですね。
いくら親子と言っても、出来る事と出来ない事がありますよね。
お母様には出来るだけパートで頑張っていただいて、それが出来なくなったら生活保護を申請するなどしてもらうしかないのではないでしょうか。
そして、ななしさんにもしも面倒を見なければならないような事が起こったら、必要最小限のやるべき事だけすれば充分だと思いますよ。
役所も身内関係の財産調査をして、養える程ではないと判断すれば、それ以上は求めません。
求められるのは、お母様が自分では出来なくなった書類手続き、施設や病院関係の保証人、身元引受人、必要な日用品などの購入と差し入れなどでしょうか。
お母様はまだまだお元気なようですので、接触は最低限にして、どうかななしさんの心身を守る事を優先していただけたら。と思います。
お心遣いありがとうございます。
ななしさんもお身体をお大事に、良い日々をお過ごし下さい。
ななしさん
とりすさん、ご丁寧なお返事を下さってありがとうございます。
とりすさんはお母様が亡くなるまで、本当によく頑張ってこられましたね。お疲れ様でした。
私も他の姉弟とは扱いが違ったので、あまり他には言えずに来ました。今はまだ母親は60代で元気にしております。父は他界して今年で14年が経ちました
。父が他界した時に、年金をかけてなかったことを知って、驚くばかりでしたが、子供の私達も母親を養うような状況になく、仕方なく母は始めてパートで働くようになって今に至ります。年金もあまり貰えないようで、私に援助して貰おうと思っていたらしいのですが、私も生活に余裕がないので。先の不安からかますますエスカレートしています。
この世には沢山同じ思いをしている人がいますね。理不尽だけど、これも私の人生なんだと。今は距離を取っていますが、私もいつか母親が認知症になったら、初めて向き合えるかもしれませんね。
色々とありがとうございました。
とりすさんも、まだまだ春は不安定な気候ですのでご自愛下さい。 また小瓶にお返事させていただきます。
ななしでした
とりす
ななしさん、お返事ありがとうございます。
母のためにご丁寧なご挨拶をありがとうございます。
また、私の体調を慮って下さり、ありがとうございます。
体調が悪化しないよう、用事が何もない日は出来るだけ何もせずにゴロゴロ寝ていて、無理せず家族にもいろいろと手伝ってもらうようにしています。
ななしさんも以前の私と同じような状態に置かれているのですね。
とてもおつらい事と思います。
私も母が家にいる時のみならず、施設に入所してからも、家族ばかりか他者に対する暴言、暴力に悩まされ、必要最小限以上なるべく関わらないようにする事、周囲に謝る事、身を守る事で精一杯でした。
比較的母親から可愛がられていて、母と同居していた兄弟が重い病気にかかり、自分の身の回りの事もヘルパーさん無しでは出来なくなってしまい、母に関する負担がほぼ全て私に来ました。
母と関わる度に自分の体調が悪くなってしまうので、やるべき事だけをやるだけで本当に精一杯でした。なぜ「お前さえいなければ。お前にだけは面倒見てもらいたくない。」と言われ続けた私が。と思った事も何度もあります。
許そうと思って許せるものではないと思います。
私も母そのものではなく、今だに母のやった事自体は許せません。
まだその渦中にいるのなら尚更だと思います。
許せずにいるご自身をどうか責めないであげて下さいね。
それだけ深く傷ついて来たのですから。
ただ、私の場合は母の認知症が進むにつれ、身体も弱り動けなくなって大人しくなり、言葉も態度も幼児のようになってしまい、暴言、暴力がなくなった期間が最期の4年間ほどありました。
その間、コロナの少し前、叔母と共に私の家に泊まりに来て本当に嬉しそうだった事、泊まりでの白内障の手術の際に付き添った時、大好物の鰻や、穴子とマグロと松皮造りの鯛のお寿司(もう少食になっていて、三貫しか食べられなくなっていました)や果物のケーキや草大福などを食べたがり、母の好きだった専門店で購入して来たら、今まで私に絶対に謝ったりお礼を言ったりする事などなかった人が、本当に嬉しそうに美味しそうに、「ねえちゃん、ごめんね。ありがとう。美味しい。」と言いながら食べた事。「美味しいから、ねえちゃんも一緒に食べよう。」と私にもすすめてくれた事。
食事が摂れなくなり、もうこのまま老衰死でしょう。と主治医から言われた時に病院で、
もう誰が誰だか忘れている事も多かったのに、私の顔をじっと見つめながら、
「ねえちゃん、ありがとう。」
と私にお礼を言った事などもあります。
その頃には本当に素直な幼児のようになっていました。
私はずっと母とこういうふうに穏やかな時間を一緒に過ごしたかったのだと思いました。
それが最期の4年間でやっと叶ったのだと思います。
それが母に愛されたかったけれどそれが叶わなかった子供時代の自分自身の夢を叶え、癒やしてくれたのだとも思いました。
また、母の今までの人生を知るにつれ、やはりやった事は許せないけれど、母本人自体は若い頃から重い精神病に苦しめられ、思うようには行かなかった人生の中で母なりに懸命に生きて来たけれど、それしか出来なかったのだ。それで精一杯だったのだ。本人もそれで苦しんで来たのだ。と思うようになりました。
脳が隙間だらけになり、まるで素直な幼児のようになってしまってから、母はやっと心の平穏を取り戻せたのだと思います。
それが病気を取り除いた母本来の姿なのかもしれないとも思いました。
母が思うように行かなかった人生への怒りを忘れてしまったその期間があったから、母からの感謝の言葉を聴けたから、短くとも母との穏やかな時間を過ごせたから、そう思えるようになり、母のやった事は許せなくても母自体を許せたのだと感謝しています。
いつの日か、ななしさんもお母様との穏やかな時間を過ごせる日が来ますように。
それがななしさんとお母様の心を癒やしてくれる事を願ってやみません。
ななしさん
とりすさん、お母様の事、大変でしたね。お悔やみ申し上げます。色々手続き等に追われていたと思いますが、体調はいかがですか?
私はいつもあなたの小瓶を読ませていただいておりました。私の母親もヒステリーで一度怒ると手をつけれない人です。幼少期より虐待を受け、自立してからは金銭搾取で苦しみ、今は距離を置いていますが、しつこく絡んで来るため疲弊しておりました。
あなたの小瓶を見るたび、私もあなたのように許す事ができる日が来るのだろうかと・・巷では許しましょうとか、許さなければ幸せになれないとか、色々言われています。私的には今は許す、許さないの問題ではなく、ただただ関わらないでいてくれたらそれでいいと思っています。
母親はどこに行ってもトラブルを起こしています。周りが全部悪いと騒ぎ立て、兄妹も誰も関わらなくなってます。姉も絶縁していて、今はゴタゴタしています。
いつか、私もあなたのように穏やかに思える日が来たら良いなと思いながら・・。
あなたにこうして話せたこと、心から感謝します。
読んで下さってありがとうございました。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです