母親は主治医の見立て違いで
退院させられて僕がせん妄で
意識のない母親が苦しそうに息をしていたので
水をストローで差してあげて
飲んだと思ったが、詰まっていて亡くなった。
僕は半分犯罪者の意識がいつまで経っても
無くならない心療内科の医師にも
事情を説明し、医師もせん妄になると
いうことは既にそれなりに
身体の状態が悪かったので
少しの事でも亡くなったと思いますので
貴方が罪悪感を抱く必要はありませんが
これだけ、お母さんの事を思って生活して
こられたのでそれなりの時間はかかりますが
きっと立ち直られていきますからと
先生からも経過を見てまた来月診察に
来てください。との事。
色々な精神安定剤や鬱病の薬を飲んでますが
気持ちが晴れる事はありません。
でも、それでも朝3時から副業合わせて22時まで
やっとの土日休みに
今日は母親の趣味の庭の草取り
母親の車の洗車をしてワックスをかけて
身体を動かすようにした方が
薬よりも心が安定する感じがします。
でも、寝て起きると毎回母親は亡くなっている。
絶望感から始まる日々です。
あの先生の見立て違いがなければ
母親はまだまだ生きていた。
1番心のよりどころだった自分が
母親を、、。
どうしようもない現実に
無理してそれでも生きている。
こんな悲運な自分が何に向かって
何を楽しみとして生きていくか?
もう、考えても仕方がない。
だからお母さんに
今、自分が何ができるのか?
仏壇に線香あげるとかそういう事じゃなくて
母親なら今頃ならこういう事を
しているだろうと思って日々
母親がいる感覚で一緒にやっていくしか
ないんだろうと思っています。
あまりにも母親が可哀想でならないから
立ち直れない自分がいますが
それは、それだけ愛情が、あった証です。
自殺する事は簡単ですが
それは、最終手段として心のスケールにゆとりを
もたせる必要もあってもいいと思っています。
日々平日はドタバタで泳げたい焼き君
くだらない取るに足らないような日々ですが
それでも亡くなった母親の事を想える日々が
おくれる事は幸せな事なのかもしれませんね。
巷のニュースやら外界の事には
一切無縁でいいです。
コロナで何人亡くなったとか
ロシアが核を撃って落ちた時はそれでも
いい人生だったと思えるように
今日が最後の日と思って
日々頑張らせていただきます。
本当は明るい人なんですけど
こんなになってしまいました。
母親に早く迎えに来てくれと頼みますが
夢にさえも出てきません。。苦笑
さて、何年も辞めていた酒を
少し楽しんで寝ます。