またまた久しぶりに小瓶を流します。近頃は環境もだいぶ変わり、かなり良い状態の日々を過ごせています。けれど、時々やってくる暗い気持ちが無くなった訳ではなく、その時にいつも考えてしまうことをここに綴ります。
何年も前のことです。母から「あなたは双子だったかもしれないの」と、そう言われました。その時はその言葉の真意をまだ深く理解していませんでした。
不妊治療という言葉と、その言葉の意味を知ったのは比較的最近のことです。はっきりとそう言われた訳ではありませんが、恐らく人工授精だったのだろうと思っています。
2つ生まれた受精卵のうち、身体がつくられ母から生まれたのは私の方でした。私の片割れは、卵から孵ることなくこの世を去りました。
数日に1回イライラしては後悔し、自責の念に駆られている時に毎回ふと思ってしまいます。
「私じゃなくて、もう一人の私が生まれてきてたらもっとみんな幸せだったんじゃないかな…」と。
もし双子として生まれていても、恐らく二卵性だったのではないかと思っています。だから、私の片割れは私とは全くの別人だと仮定して考えています。
本当に私ではなく片割れが生まれてきていたとして、性別が同じであればかなり高い確率で両親は今の私と同じ名前をつけていたでしょう。
だからこそ私は片割れを“もう一人の私”と呼んでいます。
私をここまで産んで育ててくれた両親はきっとそんなこと思っているはずがない、と頭では分かっていても物事を暗い方へ考えてしまう自分がいます。
私じゃなくてもう一人の私が生まれてきていたら、きっとポジティブで今の私みたいにうじうじしないだろうな…と、この世にいない片割れを想像しては「なんで生まれてきたのが私だったのだろう」と思ってしまいます。
そんなことを私が考えているのはお門違いで、両親に対して恩を仇で返す様なものなのではないかと分かってはいるのに…私はいつも1人で塞ぎ込みます。
特に母になんて言える訳がない。不妊治療をして生まれた子どもがそんなことを考えているだなんて、絶対に知られるわけにはいかない。
その結果、私は感情を押し殺してたった1人この思いに身を包まれています。
タラレバが何の意味も持っていないことなどとうに知っています。ただ、ここでこの気持ちを吐けるだけで私はかなり気が楽です。
もう一人の私と前向きに向き合う方法を、これからも1人で模索していきます。私に出来ることはきっとそれしかないから…。