せっかくなので、俺が今までの人生で得た経験を記してみようかなと思って書いてみました。
まだまだ短い人生で、かつ言葉に表すのが下手くそですが気が向いたので。
(「旅の記録 2」が出るかどうかすら怪しいけれど)((
すごくざっくり言えばダメ人間に堕落した簡単な経緯(一部)とワガママすぎる気持ちとただの個人的見解が書いてあります。
あと口調がまるで独り言...w
(自分語りみたいな感じなので苦手な方は海に投げ返してもらって大丈夫です)
3年前と少し前くらいからのことかな。
コロナで学校が長い間休校になって、
その間に好きなゲームとか絵とかネットとかをたくさんやって、
そのときは本当に楽しくて「あぁ幸せだなぁ」と感じながら自分の“好き”にまみれた生活を送っていた。
(ほんと自分は恵まれてんなって思うよ)
でもその幸福感は(贅沢な話だが)だんだんと小さなものになっていって、
不本意ながら「課題」が欲しくなっちゃったんだよね。
(このときは学校から課題が出ていなかった)
ゲームもやり込み要素まで全部やっちゃって、
やりたいことも尽きちゃって、
休校期間の最後の方なんてほとんど夕方に起きて夜ご飯だけ食って風呂入って寝るの繰り返しだった。
刺激がなくて、まるでループしてるかのような感覚。
友達にもずっと会えず、コロナになってすらいないのにまるで隔離されているような感覚だった。
個人的な“好き”にまみれた生活の先には“退屈”が待っていた。
長すぎた”退屈“(と大好きなゲームの衝撃的すぎたエンディング)によって心も病んでいた。
(このときの心の状態は今に比べたらまだかわいいものだなとは思うが)
(というかなんでこんなに鬱になったのか自分でも謎)
そして長かった休校期間も終わり、学校が始まった。
欲しいと思っていた「課題」も手に入った。
(でもまぁ結局のところ「課題」は嫌だった)(((
それからの生活は少しずつ今まで通りを取り戻していった。(と言っても全然「今まで」とは違っているのだが)
なるがまま、なんとなくで過ごしていった。
充実していたかと言われたらそうでもなかったけれど、
少なくとも“退屈”ではなかった。
楽しいという感情を感じることも増えた。
というかまぁ言ってしまえばそこそこ楽しかった気がする。
その時その時は辛いかもしれないけれど、
「辛い」を乗り越えるというのを何度も繰り返していった先には、大抵はそれまでよりも鬱な気持ちは改善されたし、良い経験を得られたなと思った。
とりあえず今はそんな感じの生き方をしてる気がする。
もちろんもっと細かいことを言えば他にもいろんなことはしているし、
今も“好き”を追い求めてる(まみれてはいない)。
希死念慮からはまだまだのがれられそうにないし、辛いこともたくさんあるけどそれでもまだ生きてる。
誰も自分を大切にしてくれていない(と思った)なら、
とにかくまずは自分で自分を大切にしてあげよう。
ゆっくりでもいいから、少しずつ自分を認めていこうと思った。
今これを書いている中で、やっとの思いで学校が始まったときのことを思い出すと、
「学校があるのは当たり前じゃないんだ」「友達にこうやって会えているのも全くもって当たり前ではないんだ」ってしみじみ感じたことを思い出す。
このとき感じたことは忘れてはいけないなと思った。
文章力も需要もなにもないような小瓶になっちゃったけれど、今まで通ってきたネットの世界の中で最も強い安心感を感じた“ここ”だから書いてみようと思いました。
思ってたよりかなり時間がかかって少しびっくりしてます(^◇^;)←
吐き出せてちょっと気持ちが軽くなったかもしれないかも..?
もし、自分の経験を記したことで、また別の人の心になにか響くものを届けられたなら、いいなと思います。
読んでくださりありがとうございました!
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
「自分の経験を記したことで、また別の人の心になにか響くものを届けられたなら、いいなと思います」私もそう思います。
SNSとか基本的にそういうものであってほしい。
まぁ、ときに喧嘩みたいに白熱することがあっても炎上と和解はセットであってほしいなぁ。そんな社会であってほしい。
小瓶を流してくれてありがとう。
娯楽の幸福って満たされる瞬間、一瞬だよなぁって思ったよ。
この小瓶がコロナ禍を経験した子たちにも届きますように。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください