ひとは、そのひとの主観では、ぜったいに死ねないのではないかと思います。
どれだけ自分の死を願い、行動に移しても、
生と死の瀬戸際で世界は分岐し、
意識は生の側に収束してしまう。
なんど挑戦しても遂げられないのは、そのせい。
でも、それはそのひとの主観世界の話です。
そうした瞬間には同時に、そのひとが死ぬ世界も造られているとも思います。
ボロボロの状態で横たわる身体の横で、
絶望に泣き叫ぶひとの姿を想像してしまうこともあります。
ひとは常に死につづけていて、それでいて且つぜったいに死ねない。そうした確信のなかで生きなければならない。決然と。
うーん、先駆的決意性ってこういうことなんでしょうか。
・・・あと、そんなことを言ってても、
「死にたい」という気持ちが消えることはなさそうです(笑) もう何度か試すかもしれません。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
名前のない小瓶
楽観的に考えると「生きられる」
客観的に考えると「死ねない」(あってます?笑)
「死ぬ」って難しいですよね
私も死のうと前は努力していましたが自殺に3回ほど失敗して…。死ねなかったんですよね笑
でも、そのおかげで今生きてますし、「生」っていうこの漢字1文字の大切さを本当に知ることができました
でも、1回失敗すると、また挑戦してもだいたい失敗するんですよね笑
生きてることを願うばかりです
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