人の不幸は蜜の味
ひどいことばだよね。
でもそう思ってしまう人がいっぱいいるんだよね。
私はあまり意識したことないけど
…いや、私だって認めたくないけど
私だってそうなのかもしれないから
あまりはげしく批判はできる立場じゃない。
人間って弱いんだよね。
だから誰かが苦しむ様子を見て
安心しようと思うんだよね。
誰かの安心材料として利用されたその不幸な人
その人だって
これまで
これから
自分ではない誰かの不幸を見つけた時、
心のどこかで安心の念を覚えるのだろうか。
家の近くで火事が起きた。
鳴り響く消防車のサイレン。
辺りを照らす救急車のランプ。
そんな中に聞こえる異質な音。
急いで火事現場に向かう自転車の音。
近所の家族の走っていく足音。
「え?火事?ヤバw」「見に行こ!」
楽しそうな笑い声。
家にいた私は野次馬どもの声で
火事が起きたのかと気がついたが、同時に
聞こえてきたその野次馬どもの沢山の会話の中に
心配の声や、同情の声が、
何も聞こえてこないことに
絶望した。
聞こえてくる会話はその場に似つかないくらい
とても楽しそうだった。
電車内で倒れた人がいた。
誰かが心配してすぐに駅員に報告しにいった。
その時その人を取り囲んだのは、
沢山のスマホと、
一目見ようと首を伸ばす人々。
運ばれるまでずっと彼はそれらに周囲を囲まれた。
わたしはそんな人だかりを見て
すごくおそろしいと感じた。
暴力表現や、人を傷つけたりするシーンのある映画を授業で見せられた。(宗教の授業)
血がすごくて、人から殴りつけられたり、
苦しむ様子は見ていられないくらいリアルだった。
そして十字架刑にかけられたイエス(他2人)を見て
すごく楽しそうに愉快そうに見ている人々。
十字架を運ぶところから、
丘の上に建てられるところまでつづく
野次馬の行列。
私はリアルな表現が怖くてあまり直視はできなかったが
それを眺めながら、
きっと、今の世でも人は変わらないのだろうな、と思った。
私自身も、直視できなかったのは
自分がされたように感じて怖かったからであって、
火事のときは火事の被害者を、
電車のときは倒れた人を、
映画ではイエスたちを、
別にいたわったわけでもない気がしてきた。
人の不幸は蜜の味。
誰かが、その不幸から、
脱出できたとき、
人は、『おもしろくない』と感じる。
もう一度おとしめたいと思う人すらいたりする。
もし神様というものが存在するならば
どうして人間にこんなに醜い感情を持たせたのか
私は知りたい。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
寧ろ、人の不幸を誰もが期待しているのでは?と思う事は多い気も私はしていて、それが人間の本性かと。
競争相手が減りますからね。
なんかおかしいなと、思いますが。
ファイト。
ななしさん
多分、人は哀しい思いをして初めて人の痛みが分かるのだと思います
でも自分が上手く行くと、その気持ちが薄れたりする…
それとは別に野次馬根性の人達は、中途半端な人達なのだと思う
人の気持ちも分からず、でも満たされない心を持った人
そういう時期って誰しもあるし、それも否定出来ない
でも、そういう人達を相手にしなくて済む自分になるのが一番早い解決かな、と
しっかりと考えること、自分の中の感情や考えに問いかけ続けること
そうすると自分の考えに軸が出来るので、自分をむやみに責めることが減ると思います
そうしたら野次馬根性の人達なんて、あしらえるし、言い返せると思います
どうでもいい人の言葉で、傷つくことありますけどね
どうでもいい人に期待なんかしなくていいのですよねー
一喝してやるくらいの気持ちで、いたいです笑
ななしさん
醜さがあるから美しさがより引き立つ。
醜さがあるから醜さを知れる。
醜さを認知し醜さを減らそうとする人が増えていくことを神はお望み。
醜い行いを気づかせてあげれるほどの美しさを神はお望み。
醜さが変化していく姿を見るのが神はお好き。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください