くらげみたいねって言われた。
少し嬉しかった。表現がちょっと独特な気がしたけど私のことを見てくれたんだあって思えて嬉しかった。自分がクラゲっぽいかはわからんけどねww
さて、
今日はそんなに病んでない。授業が午前で、午後が体育祭準備。
多くの生徒は授業がなくなったことに喜ぶだろうけど、私はそんなに嬉しくない。
過去にも何本も投稿してきて書いたことだが、私は体育祭当日は参加しない。用事があっていけないとか、そういう不憫な理由ではなく、自主的に参加を望まなかったのだ。だから、体育祭は正直もう関係ないよねってスタンスで学校生活楽しんでるし、受験生ってのもあるから、勉強に十分な時間を割けてるってのはむしろ好都合なのである。
だが、そんな行動する人なんてなかなかいないもんだから、明らかに浮いてる。自覚してるし、やべーなーって思ってはいるけど、直そうとか、明後日に本番を迎えてるのに今さら,,,って言うのもあって今までもこれからも不参加を貫き通す、その予定は崩すつもりはない。
頑固と言いたきゃ勝手に言いやがれ。そんな空回りめんどくさい系のねじれ女子です。
これがまた女子ってのが嫌なポイントよね。
うちのクラスは特にそうだが、女子は基本どこかしらのグループに所属してて、どの活動においてもそのグループが単位で動く。体育とか、勉強会とか、移動教室とかそういったもの全てそうだ。だから、単独行動するのは大きいリスクなのだ。いわゆる、ハブリにつながるから。彼女らからすれば、あなたと私たちの間に〇〇の思い出ないよね?楽しい時間共有してないよね?自分からその時間を避けていったのよね?ってことらしい。
どうにも面倒ではあるが、集団で何かするとか、友達と仲良くいるってのは、結局はそういった自分の我慢が必要ではあるものだ。互いが互いに全てを押し付け合うのではなく、その状況、過去の関係性、信頼度などから各々が判断し、あの人だったらこれくらい甘えれるかな、とか、あの人にはこの間お世話になったし私が今回は下手に回ろうかな、とかうまく合わせて立ち回らなければいけない。
それを練習するのがこの未成年と言われる大した責任を問われずに人と関われる時期だと思う。大人になったら仕事みたいに責任が発生する事態を対応しなければならないから、社会に出て困らないように、学校という大人がもうけた疑似的な小規模社会で練習できるのだ。
そんな小規模社会に放り込まれて10年近く経つが、その練習の成果というものは出ているのだろうか。
前述にあった通り、人間関係は下手くそなままである