言葉や態度に出さないだけで、自分を心配したり思いやってくれてる人ってのは存外いるもんさ。ただ、悲しいことやつらいことがあったとき、人は"視野狭窄"にとらわれて親切な人たちの労いや励ましは意識の外へ行ってしまう。
私はそれを青い鳥って呼んでる。居なくなったように思えてもそれは視界から外れて見えなくなっただけ。青い鳥は身の回りにびっくりするぐらいいるんよ、ほんとは。
視界を狭めるフレームって自分で取り除くのはすごく難しい。世界を切り取ってやなものを思いっきりズームして見ちゃってるから、苦しくて視界の異変に気づくどころじゃない。他の人の力を借りれば、そのフレームも案外簡単に外れ…はしないか。でも拡張はするんじゃよ。
もし青い鳥が見えなくなったら、なんだけど。私はそこに青い鳥いるんだって勝手に思い込むようにしてる。そうするとね、目の前に"仮の"青い鳥が現れて、ひとりになった世界に一緒にいてくれるんよ。そしていつしか本物の青い鳥のとこまで連れてってくれる。この青い鳥つくっちゃおう作戦、割りと強くなれる(経験談)。いざとなったら試してみて。
私は昨日、仮の青い鳥(以下、仮鳥)が本物になる瞬間をみた。
ちょっと立ち直れなくなっちゃって、仮鳥すら消えてしまって、自暴自棄になった私は薬を大量に飲んで、起きられなくなった。
仮鳥は所詮都合のいい虚像なんだ、ほんとは私のことを気にかけてくれる人なんてどこにもおらんし、いたとしても、時間が経てば存在ごと忘れてくれるだろうってね。
動けるようになって携帯を見たら、まいにち一緒に遊ぶゲーム仲間が大丈夫?ってメッセージ入れてくれてた。大丈夫よーって返したけどなんか問答の応酬になっちゃって、電話での場外乱闘が始まりましたわ。
死生観の相違っていうか、そういうとこでその子と私は相容れなかったんだけど、上手いこと言いくるめたら相手が言葉に詰まっちゃった。勝ち申した!ってどやってたら彼女は電話ごしに鼻をすすり始めた。
友達泣かせたどうしようって思って、夢叶えたら死ぬっていったけど満足感のうちに死ぬ感じよ、自分勝手なだけだから泣かなくていいんだよ、その感情のリソースを他の人に使ってあげてほしいよって言ったら嗚咽しはじめた…。
どんなに切り口を変えても「死なないでほしい」に話が堂々巡りする。うちは何も考えないでけろっとしてるのに相手がめっちゃ悲愴な感じになってる。仮鳥には自分の死によって周りの人たちが悲しむイメージを一応載せてはいたんだけど、想像以上だった。
会ったこともないネット上のお友達がさ、自分を本当の友達だって言って、本気で泣いてくれてる。こんな優しくて思いやり深い子を自分は傷つけたんだなって思ってどうしようもなく悲しくなりましたわ。
自殺が自分を気にかけてくれる人の心をどれだけ抉るのかってことを過小評価してた。知ったような気になってた。世界を狭めてたフレームが粉々に砕け散って、仮鳥はほんとうの姿を取り戻した。
自分の作った像が実際に形を結んで世界に影を落としていくのを目の当たりにして、友達の等身大の気持ちにはっと気がついた。もちろんこの、目からうろこが落ちたような衝撃と喜びは人生の宝物箱にしっかり格納されましたわ。
そしてさ、本当の友達だって言われたとき、だってきみだって私のこと心配してくれたじゃんとも言ってた。
なるほど、私は思いのたけをぶつけただけだったんだけども、心はちゃんと相手に届いてたんだ、ってまたもやびっくりしちゃった。こういうのってなかなか知る機会ないけど、自分が知らないうちに生み出した青い鳥が誰かを支えて、また自分のとこに戻ってくるのってこの上なく幸運
なことだよね。しあわせだなあ。
とっちらかっちゃったけど言いたいことはそんなかんじ。
青い鳥はいつでもそばにいるからね。きみの隣りにも。