まったくです。
苦しいことって、知覚したり思い出そうとするその時点でライフが相当削られてるのに、
その上、ちゃんと聞いてもらう為には、それに見合った整然とした話し方をする努力義務が必要だなんて、本当私にとっては無理ゲーです。
そうかと言って、
死ぬほど頑張って、必死で言葉を組み替えたり、はしょれる言葉はギリギリまではしょって理路整然と話したら、一応聞いてはもらえたものの、
「それだけ整然と話せるなら、まだ全然大丈夫だよ。」
なんて、苦しさや困り具合を過小評価されてしまうという斜め上な結果になってしまうことも多々あるし…
なかなか丁度いい加減が掴めずにいます。
P.S うーにゃ@潮山の心友さん、フォローありがとうございます(^^)