なにもかも想像通りに上手くいけば死にたいなんて思わないで生きていける。そんな風に考えられるくらいには「ここがこうなれば……」っていう問題点を自分自身理解してるつもりで。
だからさ、本当にどうしようもないって絶望に駆られず死のうとしないで希望を夢見ちゃうんだ。
絶対に助からないなんて思えないのは、助かる道を想像できてしまうから。ありえない。って思っても、そのありえない想像が存在してるなら可能性があると考えちゃうから。
この思考がめんどくさい。
完全に「生きれない」と、本当にお先真っ暗になれば、「死にたい」じゃなくて「死のう」ってなって、この命をもうとっくに絶っているかもしれないのに。
なんで私はこんなに恵まれてるんだろう?
どうして幸せだと思えてしまうんだろう?
生きれるかぎりは生きようと考えて、死ぬのを先伸ばしにできる余裕がある。それ故に、悩み苦しんでずっと「死にたい」と共存して。
ふらふらと、宛メの海に今日も小瓶を流すんだ。
こんな人間がこの世に存在していることを、きっと誰かに伝えたくて。
『生きていない方がいいのかもしれないけど、でも生きてます。ごめんなさい。綴った言葉を見てくれてありがとう』なんて。
伝えられても困っちゃうかもね。