幼少期から親戚らは誰一人として俺を俺の名前で呼ばない。親戚らはほぼ全員、俺の名前を必ず間違える。間違えてから訂正する、それを毎回やられる。子供の頃、親戚らが俺の名前を間違えて呼んでいても両親は決して訂正しない。俺はいない。両親は俺に置物のようであることを要求していた。ただ静かに座っているだけの人形。
幼少期、両親は俺を外に連れて行かない。いつも家にひとり。俺は存在しない。金魚と同じ扱い。俺に餌を毎日やるだけ。両親から学んだことはひとつもない。他の人の母親が羨ましい。子供に優しく接している母親を見ると、羨ましい。俺の母親はただのキチガイ。悲しい。父親はただの臆病者。堂々とした頼りがいのある他人の父親が羨ましい。
大人になって気づいた。両親は俺が人間だって知らない。父親が、死んだ金魚を可燃ゴミ袋に捨てたように、俺が死んでも金魚が死んだときと同じ表情。
親戚のひとりが自殺したときのその母親と姉はほっとしてむしろ喜んでいたように見えた。自殺した親戚の部屋の荷物をすぐに全て処分したがるその母親。自殺してくれてよかったね。
俺はいない、俺は嫌われている、俺は存在しない、俺は金魚だ。