生まれた意味は解らないが、産まれたからそこにいて、生きているから生きているというのは事実だな。
それは虫や、他の生き物、動くものも同じかと思う。
人間は何事か、色々なものに意味を求めたがるが、それは本当に、真、正しい意味なのか、そもそも意味はあるのか、それは誰にも解らない。
そもそも、意味とはなんだろうな?
産まれ、感情を持ち、思い、考え…、物事を振り返っては意味や価値を、それぞれの視点や、一瞬一瞬変わりゆく角度から探し出す。
ものことに、真に意味があるとしても、人間は勝手に、自分の思った意味や価値を、そこにあるものとして認識する事が出来る。
意味は作り出せるもので、後付けも出来るものだ。
ならば、産まれた意味、もしくは誰かがこの世に産んだ意味はさておき、生きていく意味というものは自分で決める事の出来るものなのだろう。
まあ、殆どは一瞬一瞬の欲、生きている中で、腹が空けば食べたい、寒いから暖まりたい、そういったものから進み、動いているのだろうから、一生涯を通じて一貫した存在の意味を求めるのであれば、なかなか難しいのかもしれんな。
個人的には、愛を育むためというより、愛を育んだりと、生きている中でした事が、生きた意味、即ち「生きた軌跡」として残るのだと考えている。
人類全体が生まれてきた事に、運命やら使命やら、何か重要な事があったのかとは、俺には思えない。
人間だって、虫となんの変わりもない、生命体として見れば、単なる同じ命の一つだ。
種として命が繋がれてきた事実というのは、現在でも様々な種が絶滅に追い込まれている事を見るに、有難い、工夫や努力がなければ存在し難かった事なんだろうと、恐れ入るがね。
誰彼、どの種族、どの個に、特別何かがあるなどとは思えない。
それぞれの違いがあるからこそ、等しく、尊さも醜さも、各々が感じられるものではないか。
意味が作られるとすれば、それはその瞬間の己が、どのような視点から外を認識し、何に対して重要かという価値を持ち、どれだけ重きを置いているか、という事なのだろう。
自分の命の事を詳しく知らない。
他の命ですら、同じ種族の命ですら、考えも感情も明細に解る訳でもなく、知らない事ばかりだ。
そんな訳なので、俺には人類の存在する意味がどうとかは解らん。
少なくとも、それぞれが生きている中で、己の思う存在する意味や存在したい意味を作れる事と、そんな意味がなくても今存在していられる事は確かだがな。
まあ、とにかくは、各々がそれぞれの生の中、その時々の学びから得ていくのが意味なんだろうと思っているよ。
逆説的に、「生きる中で意味を得る事が、存在の意味、目的なのかどうか」と問うと、そのようには感じないな。
人の解釈次第ではあると思うが、俺が現時点で考えているのはそんな所か。