音楽に取り憑かれてしまった。ある意味楽しい
けれど周りがよく見えない。流されている気も
する。人それぞれ見ている世界が違う。現実に
戻って来る必要があるか。そもそも現実とは意味
だと思う。意味は自分が作るものだから没頭して
いることに意味を見出せばそれが現実である。
一生懸命になることは良いことだが、こうある
べきという意味付けが強すぎて苦しくなるのなら
考えものである。そういう時は大抵理想通りに
ならない自分を責めている。そして周りも同じ
ように責めている。ガチガチに。無意識に。
不安定だ。怖くはない。注意力散漫な感覚。
そわそわして落ち着かない。走って走ってゴール
に辿り着いたら落ち着くのかもしれないと思った
けれど違うようだ。そもそもそんなものはない。
終わりは始まりだから。探し物をしているみたい。
それもきっと初めからないものを。どうしたら
いい。おそらくピアノを速弾きするみたいに何も
考えられないくらい何かに集中したり没頭したり
するといいのかもしれない。それは根本的な解決
ではない。一生続くとか考えない方がいい。ネガ
ティブ思考の最たるだ。声が出るかどうかでは
なく音楽が美しいかどうかで歌いたい。何をもって
美しいというのだろう。センス?フィーリング?
確固たるものが何もないような気がする。音楽の
三要素。メロディ、リズム、ハーモニー。そうだ。
昨日思ったこと。歌わないという選択肢があること。
音程が外れたら音楽ではないという感覚。昔から
そう。楽器練習は全然楽しめなかった。必ず外す
から。多分もっと全体的なものではないか。歌い
きる覚悟というか、自然に行方が見えるような。
結局研鑽不足かな。いつもしないという選択肢に
依存している。逃げること。そんな自分に落胆
しつつも甘やかし続けてきた。そういうことでは
なく、当たり前のように「やらないという選択肢
はない」と思ってやると失敗しなかった。
グルグル理屈をこねて同じ所を歩き回っても何も
変わらないけれどこれが螺旋状に上昇していたら
嬉しい。感動して涙が出て癒される。この感動
とはどこからやって来るのだろう。圧倒的な技術
なのかなぁ。人間業ではないと思わせるような。
ちょっと違う。プラス何かある。世界観というか、
時が止まっているような。時間のない世界にいる
感覚。情景が具体的に見えるわけでもないけれど、
心が震えている。理解できないから?でも不安
はない。過去に似たような経験がないからだ。
恐怖に近いのだろうか。赤ちゃんが初めて世界を
理解しようとする時の気持ち?ただモチーフは
ありふれているものである。外見上は新しい
ものではないにも関わらず、感覚は別次元の
ものだと捉えている。何だこれは体験したこと
がないぞと。ジェットコースターと同じで普段
感じられないスリルを味わって楽しむ。だから
感動は繰り返すうちに色褪せてしまう。もちろん
繰り返すことで違う発見があったりもする。
逆に感動を与える側は、同じモチーフを時間を
かけて研究し、気付きを得て新たな化学反応を
起こす。微妙な変化の積み重ねが何より大事で
ある。その先に感動はあるのかもしれない。