飼い犬がもうすぐ死ぬとラインが来た。
二代目だ。一代目の犬の方が、私は好きだった。優しかった。虐待されているのは犬も自分も同じなのに、泣いていると心配してくれた。優しくて大きな柴犬だった。
海外に転勤することになって、虐待と老衰でふらふらの犬は親戚に預けられた。
転勤先で、父親が犬を飼うと言い出した。それが、二代目。
一代目の犬が死んだ。父も母も笑っていた。何がおかしいのか分からなかった。涙が出なかった。
アメリカに行ったときに、もう一代目の犬とは会えないとなんとなく分かっていたのかも知れない。ストレス性の病気だった。親戚は安楽死は選ばず、苦しんで動物病院に行く途中で亡くなった。
私は二代目の犬を愛せなかった。虐待したいと思ったこともある。思っただけだ。父と同じにはなりたくなかった。
犬には罪は無い。わかっているけれど、二代目の犬の危篤を悲しむことは、一代目の犬への冒涜に感じる。