学生時代の友人たちと1年ぐらいぶりに会った。
1年前と変わらない様子で話す友人たちを見て、ああみんな元気でやっていたんだな、良かったなと会うたびに感じる安堵感に懐かしさを覚えるはずだった。
1年の間に出産を経験した友人をねぎらえば、「今は楽になったよ」と自分の赤ん坊を慈愛に満ちた目で優しく見つめた。
「逃げることはできないんだなって」
「虐待に至る人の気持ちもわかる気がする」
「離婚すらよぎった」
昔から明るくムードメーカーな彼女がそこまで追い詰められていたのかと思うと、言葉を失いそうになった。
バリバリ働き稼いだお金で色んな異国に行くことが好きな友人に近況を聞けば、相変わらずだよと返ってくる。
「数ヶ月、休職していたんだ」
「ドクターストップがかかっちゃって」
「薬も飲んでいるんだけど」
昔から線は細くも芯が強い彼女がそこまで追い込められていたのかと思うと、愕然としてしまった。
まず私の心を侵食したのは、1年もの間彼女たちの苦しみに気づくことができなかった自分の無力さであった。
集まりを開催するときくらいしか連絡はとらないのだが、皆んな社会人で忙しいしいし、10年以上のつきあいがあるしと、離れていてもどこかでしっかり繋がっている、そんな気持ちというか慢心があったのだ。
連絡をとろうと思えばすぐにとることができるツールを持ちながらも、彼女らの苦しみを露知らず、私はのうのうと怠惰に幼稚に過ごしていたのだ。
次に襲い掛かったのは、孤独だった。
子持ちの彼女は離婚がよぎり、休職した彼女はひとりベッドの上で自室の天井を見ていた。
突き詰めれば、人というものは心というものは絶対的な孤独なのかもしれないのだ。
私も私で彼女たちと比べれば大したことのない、言うなれば自分自身の性格に関する問題を抱えている。
いつか山月記のような獣になってしまうのではないか、そんなことを過ぎりながら何かにつけて自分の稚拙なプライドと湧き上がる劣等感と殴り殴られ溺れ死にかけることがある。
自分を生かすのは結局のところ自分にしかできないのだ。
この足でどこまで歩めるのか、彼女たちも歩んで行くのかと思うと、生きるということが果てしない旅路のように見えて仕方ないのだ。
今日もボロ切れを纏い素足で獣道を歩むそんな面持ちで、灰色の空を電車の箱の中から見ることしか私にはできない。
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
ご友人のご苦労に気付けなかったことでご自分を責めないであげてください。
あなたのせいじゃないですよ。
主さんは想像力のある、優しい方ですね。
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