あーあー疲れたな。
マイナスなことを発言すると人が離れていく。
この弱音を愚痴を我慢したら自分が壊れるん
じゃないかと思っていつも怖い。でも無理して
我慢したりするから他の人が愚痴らしきこと
を言っていると羨ましくて嫉妬してしまう。
このエンドレスな天秤ゲームにエネルギーを
消耗し続けている。最近また自虐的になって
いる。歌が楽しいと思っていてコーラス部に
入った。もうすぐショーがあって歌詞を覚えなく
てはならないし自分の声のキーより少し高いので
裏返る怖さもあって全然楽しめていない。
また同じ。理想と現実が擦り合わなくてそれを
解決するために試行錯誤する。良い悪いの問題
ではなく、何かを仕事にする続けるということは
苦しむということである。一つの山を越え達成感
を感じたらまた次の山が待っている。死ぬまで
繰り返される。山を越えたら幸せになれるという
ある種の執着心である。幸せになりたいだけなのに
山を越えようと頑張れば頑張るほど幸せとは別の
道であるということに気付く。この山登りに取り
憑かれてしまった時はこちらはゲームであって、
人生の本質は幸せの境地に至ることだと思い出さ
なければならない。幸せの境地とは、何かを手に
入れることなく辿り着けるがコツが必要。縁が
感じられるようになること。時代を超えてあらゆる
命(動植物や目に見えない微生物、鉱物なども含めて)
を慈しむ。切り替えが難しいのだが心を静めて
ひたすらイメージする。命が繋がれてきた流れを。
地球の裏側や砂漠や戦地や外国の空や地球全体を想う。
何とも言えない涙が出てきそうな愛しさや感動が胸に
込み上げる。ついゲームに夢中になって苦しみに
のたうち回りながら運命を呪うような愚かなことを
してしまう。生と死の関係のように死との向き合い
があって生が輝いて来る。慈しみの心があって
ゲームを楽しむことができる。履き違えれば、
苦しむ結果が待っているだろう。