能動的に動くのってすごく体力も気力もいることなのだなあと実感する今日です。
将来のことと死ぬことについて考えることは、すごくめんどくさいことだと常々思っているのに気がつくと考えてしまうんです。
なので意識してやめていたら、楽しいとか悲しいとか日常のいろいろなことに対しての感情が希薄なってしまいました。
感情をなし(※)に人と関わったり、生活したりするのは難しいのだなぁと感じました。
※感情をなしというのは、厳密に言うとゼロではなくて、車でいう所のギアをローだったり、クリープだったりに入れてる感じです。
感情はあるんだけど、あまり機能していないと言うか。
想像力や興味って感情と連動しているようなんですよね。
そうなると能動的に行動することのハードルが上がるみたいで、文頭に戻ります。
友人や家族に話すにはちょっと重たくて、医者にかかるにはちょっと自分がどういう状態なのか説明が難しいです。
タイトルの件は何に対してやめたいのか自分でもちょっとよくわかりません。
しんどいのかな。
何がって言われるとわからないんですよね。
限定すると、「しんどい?」に対して「そんなにしんどいわけじゃないよね」ってなるんです。
それでも強いて言葉にするのなら、私という存在があり続けることやめたいって感じですかね。
人に意識を向けられることが、ちょっとやだなぁって。
好意も悪意ももです。
レスポンスの感情を表明しないといけない気がして、存在が浮き彫りになるような注目されるような場面が苦手になってしまいました。
誕生日とか告白とか日常にないイベントが嫌です。
変わりたいと死にたいって根底は同じなんですかね?
感情ってどうやって高めたらいいですか?
もう手遅れですか?
好きなことが、ちょっとわからなくなってしまいました。
ついでに生きてることもちょっとしんどくなりつつあります。
突き詰めたら、受動的に怠惰に生きるんじゃなくて、変わるか死ぬか何かしらのアクションできる日が来ますかね?