計画性のなさ、時間のルーズさ、うっかりミス。
なんかちょっと生きづらい。
巷でよく聞くADHDを疑ってみたけど、めちゃくちゃに支障が出てまともに何もできない!てほどではなくて。
時間とうっかりはわからないけど、計画に関しては、今までさっぱりやった事がない故の、赤ちゃん故の能力のなさなのでは?とも思う。しっかり計画しないでもなんとかなってしまっていた(と思い込んでいるだけかもしれないけれど)せいだろうか。
しかし大人になったというのに、まともに計画も立てられないで、これからどうやって生きて行くつもりだったのだろう。
こんなこともできないのか、と自分の不甲斐なさ、情けなさを日々突きつけられながら、未だ就活を続けている。
ーー起きた事案で問題になっていることを見つけて改善策を練ること。
ーー「わからない」とか「考える時間が欲しい」と言ってもいい、むしろはっきり伝えなきゃいけないこと。
ーーなにより、出来ないことに向き合わないのはダメだということ。
つい先週の木曜日にハッとしたばかり。泣いてない日はない。今もちょっと思い出して涙ぐんでしまう。自分の酷いところを直視するって、こんなにも辛いことなのか。辛い。
しかし幸いにも、私にはもったいないくらいの素敵な恋人がいる。彼がいなければ、私には払うべきツケがたまっているということにさえ気づくこともなかった。私の内面に踏み込んで叱ってくれる、本当に優しい人。厳しい言葉を選ぶのは、私を想ってのことなのは明らかだ。
そのしんどさ故に、できないことに向き合うのが簡単じゃないのを理解してくれていて、今どうにかしようともがいている私には好感が持てるよと言ってくれた。
しかもそればかりでなくて、就活の手助けまで買って出てくれている。その優しさにもまた泣く。
「君が今直面している試練を乗り越えて成長できること、より幸せな未来が来ることを願っているよ。君のためなら苦労は惜しまないよ」
そんな旨の言葉を思い出してはさらに泣く。
だからこそ、彼の優しさ、期待には応えたいと思うし、応えられなかったらと思うと恐怖でやはり涙が出る。
彼の母親は自分に向き合えなかったらしい。彼自身、そのせいで辛い思いをしたそうだ。だから、自分に向き合えない人は嫌いなのだと。
正直な話、彼にはちょっとやそっとのことでは嫌われたりしないと思う。でも、今回私が向き合う事から逃げてしまったら。そんなつもりはないけれど、逃げ場がないのがまた辛い。
それでたまらなくなって、ここへ小瓶を流しに来ました。
やらなきゃいけないのは、自分と向き合うこと。良き就職先を見つけてくること。それはわかっているし、やるしかないとも思う。
ただ、応援してくれている彼に「辛い」とか「もう嫌だ」とか、言えなくて。
長々と書き連ねたけれど、結局辛いって誰かに言いたかっただけなのかなと思います。
私辛いんです、今。
胸が苦しいんです。
しんどいんです。
辛い気持ちに任せて書き殴って、また今日も朝の5時を迎えてしまいました。夜、無音の中に目を閉じて横になるとどうにも涙が。眠れない。
でも、味わう楽しみや幸せは残ってて安心。さっき食べた夕飯は、シャケとごはんと、白だしで作った出汁巻に豆腐のお味噌汁。父の鹿児島の友人から届いたちょっとイイさつま揚げ。シャケもお米も美味しくて美味しくて、何故だか久しぶりにおにぎりで食べたくなって、味付け海苔で巻いた。その後おやつにファミマ限定のほうじ茶タピオカアイスをいただいた。暑い夜には最高のお供。こんなにたくさん美味しいものを食べられる自分はやっぱり幸せだなぁと思える心はしっかりここにある。
自分の能力にはかなり自信持てなくなっちゃってるけど、自分の存在自体には、罪悪感や憎しみはない。いていい。生きててオッケー。死にたくはならない。仕事にはとことん向かないor現時点ではポンコツでも、生きるのは得意なのかも。
吐き出したいだけの小瓶ですが、拾ってくれる人がいるなら、それだけでも少しスッとします。読んでくれた人がいるなら、本当にありがとうございます。どうか私にもあなたにも、素敵な未来が訪れますように。