救命救急講習に行ってきた。同僚から何度か
人命救助したという話を聞いて、自分も役立つ
ことがあればと思い申し込んだ。一日がかり
だったが修了した後は何となく清々しかった。
今の仕事に幻滅している。役に立っている気が
しない。面白くない。頭では分かっている、
自分次第ということは。役に立つということは
承認欲求が満たされることである。最近自分の
健康状態が低迷している(いわゆる病んでいる)
ことに気付き、元気になる方法は生理欲求を
満たすことだという答えに辿り着いた。よく
食べる寝る動く笑う必要とされる。自分も
満たされて人の役にも立つならこれ以上の
ことはないと思う。不安に苛まれていたが、
生死の問題とそれ以外の問題ははっきり言って
雲泥の差があるように思う。人間関係や仕事
恋愛結婚家庭が上手く行っていないとして、今
包丁を持った男が急に襲ってきたとしたら。
火事であっという間に部屋中が燃え息ができなく
なってしまったら、地震で崩れた建物の下敷き
になって足が壊死しそうになっていたとしたら。
そんなことどーーーでもいい。それとこれとは
話が違う?同じだろう。生死に準ずるものは
あっても先立つものはない。語弊はあるが遊び
と考えてよいのではないか。遊びというものは
芸術と言い換えてもいいのかもしれないと思う。
芸術とは、要素(色、点線面、時間空間、音、
重量、密度など)から構成されるモノコトから
意味を外す行為ではないか。要素と意味は別の
ものだということを気付かせてくれる。そして
意味は創り変えることができるということも。
大前提として生死があって、その内の意識できる
領域には要素がありそこに意味が付与される。
おそらく生死というのは肉体がなくなっても
続くのだろう。名前は分からないが、一つの
源である。生まれる前から、死んだ後も。
そして私たちが生きているこの世界は遊び
である。要素から作られるモノコトにベッタリと
貼り付いている意味はいつでも取り外し可能で、
新しく作り直せる。欲求が満たされないことは
ままあるけれど、遊びは誰にでもできるのでは
ないだろうか。