どこに行ったって生きていけないんじゃないか、みたいな感覚がずっとある。
周囲の人たちが当たり前のようにできていることができない。
毎日同じように起きて家を出て帰ってきて...だとか、人と程よい距離感で付き合うことだとか、そういう社会的に求められている能力が欠如している。
一週間の半分くらいは誰とも話さずに暮らしたいし、ほんとのところはずっと一人でいたい。
ダメなところを帳消しにできるくらいの長所があればいいんだろうけど、頭の出来は下から数えた方が早いレベルだし、これといって得意なこともない。
できないことは沢山あるけど、一言で纏めるなら「がんばること」ができない。
好きなことに対してもそう。
好きになれるものは多くあるのに、一つのものに真摯に向き合ったりすることができない。
というか、好きなものに対しても「がんばらなきゃ」と思ってしまう。義務感みたいなものを感じてしまう。
好きならもっと知らなきゃとか、勝手に自分で自分にがんばることを課してしまう。
例えば初めて知ったミュージシャン、この曲いいな、好きだな、と思っても、そのミュージシャンの他の曲を聞こうとするのに結構心理的なハードルを感じる。
「知りたい」が「知らなきゃ」にすり変わってしまって、なんとなく苦しくなる。
人が好きなものを好きでいることって、イコール人間的魅力に繋がると思っているんだけど(なので好きなものについて語ったりできる人はとても素敵だなあと思う)、私にはその好きなものと呼んでいいものがあるのかわからない。わからないから、私は私がわからない。
一番嫌なのが、自分がとてつもなく劣っている自覚はあるのに、恐らく無意識に人を見下してしまうこと。
人の不誠実さとか浅慮さとかにすごく過敏に反応して、すぐにその人のことが嫌になってしまう。
その不誠実が自分に向けられたものではないとしても、その人の世の中の全てに対するスタンスがそういうものなんじゃないかと勝手に解釈してその人といるのが苦しくなる。
自分だって人やものによって向ける感情の度合いや態度は当然変わるのに、他者のそういう人間的なブレを許せない。
思考回路が断罪的なんだと思う。人を勝手に推し量ってはこの人もダメ、この人もダメ...を繰り返してしまう。そのおかげで長期的に人と関わりを続けることが全くできない。
多分嫌なところが無い人なんていないし、みんな大抵人の嫌なところには目をつぶって、つぶられて生きてるんだと思う。
許す許さないじゃなくて、人が人を裁くこと自体がおかしい。俯瞰的であろうとし過ぎて、同じ目線で人を見ることができなくなっている。
こんなんで本当に生きていけるのかな、どこに行ってももう無理なんじゃないのかな、みんなに見離されてもう守るものが無くなってしまった時、私はニュースに出るようなことをしてしまうんじゃないかな。それが本当に恐ろしい。
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