宛メとは? 宛名のないメールを続けていくために寄付をお願いいたします。

私が生まれて持った、誰も悪くないけどそれゆえに逃げられない私の呪いの話

カテゴリ

私が生まれて持った、誰も悪くないけどそれゆえに逃げられない私の呪いの話。

それは、生まれついての声。
幼い頃から普通よりかなり高めで変わっていたらしい私の声は、直接的にせよひそひそ話にせよあれこれ言及されることが多かった。
一番古かったのは保育園のときだったらしく、母いわく「あの子はかわいいって思われたいからああやって話してるの?」と直接聞いてきた子がいたらしい。

それからというもの、特に小学校時代なんかは「あいつはぶりっ子だ」なんて何度言われたか分からない。
「声、作ってるんでしょ?作ってないの?嘘だ、絶対作ってるよ」「ちょっと低い声とか出してみてよ」「なんでいつもそんな声で喋るの?」
場面を変え人を変え言葉を変え、何度も何度もそんなことを言われ続けてきた。
私が何かを話すと、声真似のつもりなのか口をすぼめた下手くそな甲高い声でわざわざそれを復唱してせせら笑うような人も何人かいた。
高校に上がるとさすがにそんな幼稚なことをしてきたり言ってきたりする人は居なくなったけど、その頃にはもう自分の声が大嫌いになっていた。

これは自分にとっての呪いだと思った。
今では無意識に喉に力が入ったようにぐっと押さえつけられて、自分でも意識していないのに低めに声を作って話すようになってしまって、喉にいつも負担がかかっている感じがする。
本当はずっと喉の奥が下に下がってるみたいで重たくて話すのも億劫になりそうなのに、力の抜き方を忘れてしまったのかかなり意識しなければ楽な声の出し方に戻せない。

それでも、未だに初対面の人に「いい声ですね」とか「かわいい声だね」とか言われるんだから忌々しい。
一見褒められているように見えるのだろうし、ともすれば自慢にさえなりそうな話で、実際相手は悪気があって言っているわけじゃないのだろうけど、それに対して素直に頷けたことは一度もない。
それどころか、「わざわざ声のことを話題に出したってことは、この人もどうせ心の中では私の声のことを変だとか作ってるんだとか思ってるんだろうな」なんて考えが真っ先に頭をよぎる。
そうでなくても、時折「直接言っては来なくても私の声を変だとか耳障りだって思ってる人はたくさんいるんだろうな」なんて思ったりもする。
お店やなんかで店員さんと最低限のやり取りをしたり、人のいる場所で会話をしたりするたびに「あぁ、また恥を晒して生きているなぁ」って思う。

だって、いくら低く作ろうとしたって結局のところ私の声はどこまで行ったって変だ。
付き合いの長い友達は、自由に話せる限界まで低く調整した私の声について「多分そこが限界ぐらいなんだろうなっていうのは私には分かるけど、それでも『これ以上下がらない、ここが下げられる限界』ってことを感じさせない高さではあるよね」と評した。
自分の体感的にはかなり下げて話していたはずなのに、と気になって少し録音してみたら、いつもよりは気持ちマシという程度で低いとはとても言えないキンキンした耳障りな声が撮れていて吐き気がするくらい嫌になった。
低く出したつもりの声であんな有様なら普段は一体どんな気持ち悪い声を他人に聞かせているんだろうと思うとおぞましくて堪らなかった。
そんな声を普段垂れ流しにしている私は、周りの目にどう映っているのだろうか。
考えるだけでうんざりする。

時々、「その声は才能だ」「その声は武器だ」「その声は天からのギフトだ」と言ってくれる人もいる。
けれど、それは『活かせたら』の話だろうと、いつも思う。
技術も何も無いただの凡人の私が、こんな変に高い声を持っていたって、何も意味が無いだろうと。
それどころか私は、滑舌も悪ければ即興で話をするのも気の利いた会話をするのも下手くそだ。
「声を使う何か」にことごとく向いていないのだろう。
それに加えて、声を使う活動や仕事をしている人々に目を向ければ、このくらいの声を持っている人や出せる人はきっとどれだけでもいるんだろうと思う。
それもきっと、私より遥かに多彩な技術を伴った人が。
それに比べたら私の声は何もかもが中途半端で、こんなものは到底武器や才能とは呼べやしない。

結局のところ、そんな声を持っていたって日常生活を送る上ではただの枷にしかならない。
実際私が外で口を開くと、時折奇妙なものを見るような視線をちらちらと向けられることがある。
今はまだそれで済んでいても、歳を重ねたらもっと奇怪なものを見るような白い目を向けられることになるんだろう。
それに、程よい高さから外れたこの声は聞き取りにくい時があるらしく、さらに私自身の声を出すことへの苦手意識も相まって聞き返されることも多い。
こんなに不自由なことがいくつもあっても、この声を持っていて得をしたことなんてほとんど無い。

「羨ましい」と言う人がたまにいるけれど、そう思うのなら交換したいくらいだ。
幼少期からひそひそと陰で何かを言われたりからかわれたりしても、この声を嫌いになることなく胸を張っていられる人に。
私にはそれが出来なかったから。
私はこの声が嫌いだし、これからもきっと誰かから褒めてもらったりすることで「そう思う人もいるんだ」と認識し直すことはあっても、好きになることは無いだろう。
何かの折に自分の声を客観的に聞く度に腹の底から苛立ちと嫌悪感が湧くから、きっとずっとこのままだ。
好きになりたいと思わないほどに大嫌いだから。

でも、私がこんな声なのは、私自身を含めて誰のせいでもない。
お父さんとお母さんは選んでこの声で産んだわけじゃないし、私だってこの声を自分で選んで生まれてきたんじゃない。
ましてや、誰かに何かをされたからこの声になったわけでもない。
誰も何も悪くない。
ただ、私の運が悪かっただけ。
でも、だからこそ、私はこの声そのものを憎むことしか出来ない。
誰のせいでもないんだから。

私は、この気色悪い声をどうすることも出来ないまま日々を過ごしていくしかない。
話すたびに無意識に取り繕おうとする喉を重たいくらい力ませて。
強烈に刻みつけられたこの声に対しての嫌悪感を拭えないままで。
「この人も私の声を変だと、耳障りだと思っているのかな」なんて分かりもしない他人の腹の底を疑い続けながら。
……この声は私にとって、消せない、逃げられない、忌々しい呪いだ。

名前のない小瓶
229856通目の宛名のないメール
この小瓶にお返事をする

お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください

以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。

宛メのサポーター募集
お知らせ
お知らせ一覧
宛メサポーター募集 noteはじめました。 宛名のないメールの管理人のサロン LINEスタンプ 宛メで音楽 宛メのアドバイザー石渡ゆきこ弁護士 宛メのアドバイザーいのうえちかこ(心理士・カウンセラー) 悩み相談ができる相談所を集めたサイト
宛メについて
お返事のこころえ(利用者さんの言葉) 宛メに参加している人たち(利用者さんの言葉) 宛メとの出会い(利用者さんの言葉) 初めての方 Q&Aヘルプ 宛メ、サポーター募集! 運営委員のご紹介 運営委員ブログ プライバシーポリシー(みなさんの情報について) 特定商取引法に基づく表示(お金のやりとりのルール) お問い合わせ 運営会社
X・Facebook・Instagram
フォローやいいね!すると宛メの情報が届きます。
緊急のお知らせなどもこちらから配信しますので、ぜひ登録をお願いします。