小学4年生で京都に引っ越してしまった友達。
「離れ離れでも、ズッ友だよ!!」と言い別れた日から、3年。
まだ文通は続いていて、お互い部活もあるので、暇があるときに書いてポストに投函。
友達から来る手紙は、『友達関係』や『学校での生活』のこと、たまに『恋の相談』まで。
そんなある日のこと。
ポストに友達から来た一通の手紙。
内容は、『将来の夢について』でした。
彼女がなりたいと思っているものは、『保育士』か『水族館の飼育員』
彼女は昔から面倒みがよく、そんな正確にぴったりな夢でした。
その時、私は思ったのです。
『自分がなりたいのはなんなんだろう。』と。
昔から絵を描くのが好きだった私。
でも、別にプロになりたいわけでも、画家になりたいわけでもなく、今は今より“上手くなりたい”というだけ。
吹奏楽部で、トロンボーンをやっている私。
“かっこいい”だけの理由で入った、トロンボーンパート。
プロになりたいわけでも、それに関わる仕事に就きたいわけでもありません。
じゃあ、私の夢は何か。
何も無いんです。
多分、私は小さい頃から、世の中の厳しさを知ってしまっていたのでしょう。
自営業でやっていくのが難しくなり、夫婦でやっていた店を閉めてしまった母と父。
その後面接や仕事を転々とし、入ってはやめ、入ってはやめの繰り返し。
父の会社での“パワハラ”、“過労働”
その時から、『自分の夢を叶えて、幸せになれる人は、少ない。』ということに気づいてしまっていたのかもしれません。
保育園の頃から夢だった『画家』はいつか消え、
私に“夢”は無くなった。
机に置かれた書きかけの手紙には、『将来の夢なんか、まだ考えてないや。すごいね。○○は。』と書かれていて。
考えてないんじゃない。
私が消したんだ。
自分で、自分の夢を。
“可能性”、“希望”を幼い頃、どこかに置いて言ってしまった私。
結果だけを求めてしまう私。
『なんとかなる。』と言う言葉が大っ嫌いな私。
こうして見て見ぬふりをし続けて、私は“夢”をなくしていった。
分かってる。
分かってるんだ。
自覚してる。これじゃダメだって。
『あなたはまだ中学一年生。可能性は無限大。』
担任の先生に言われた言葉。
今、その言葉を信じるときなのかもしれない。
私は、今日も夢を探す。