『罪の意識は、私の「存在」ではなく、私のとった「行動」が良くない選択だった、という考え方。そこには確実に出口があり、そして次のステップを踏む事が出来る。』と聞いたが。
日々、誰にも見せないでちまちま描いていた落書きを見たのか、記憶にあるのを思い出して言ったのか、雑談で「すねこすり…?」とかなった時に描くちょっとした落書きを思い出していたのか知らんが、私の心理検査の結果の紙を見た姉に藪から棒に「だから君、絵下手なのか」と言われたのについては、どの行動が駄目だったのかも判らなくて、とりあえずダメージしか無いんですけど。
表現する事が駄目だったのでは?表現したから批判の材料が出来た訳だし、とは導いた事あるけど、ネタ脳が機能停止しなくて三年くらい堂々巡りしてるんですけども。
そして脳内、表現しようぜと主張する奴と被ダメージを減らすのに表現は避けた方が良いと主張する奴もずっと対立してるんですけども。
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過去の小瓶から拙作を拝見されておられたとは…お恥ずかしい限りです。
あれは写生大会で、点描が面倒臭いとか横顔が上手く描けないとか、それくらいしか思ってませんでした。
なので詳しい事は覚えていないのですが、やたらぼやけている色使いなのは、「濃く塗ってはいけない。薄く塗り重ねるのだ」という旨を先生から教えられ、過剰に薄くしてしまっていたのだと考えられます…。
姉も昔、それで画用紙がふやけたそうなので…。
あと、気持ち悪さを感じる部位は、正直特定が難しいです。
不快害虫を見た時などの様に、反射的に気持ち悪く感じるので…。
でも先日、血迷って何となく、当時は描いてなかったジャンルのキャラクターを描いた物については、見てもそう気持ち悪くなりませんでした。
謎です。
お返事どうも。
うーん、差し支えなければちょっと考えてみても良いのではないかと思ったんだが、書いた字や絵のどこに嫌悪感や気持ち悪さを感じるのだろうか?
字の汚さや絵の下手さというのなら、自身の目標が高いというか、こう描きたいのではないという納得感、向上心が関わっているのではないかと思ったりするのだけれども。
まあ、無理に向き合う必要もないと言えばないしな。
今回の小瓶に関して言えば、姉さんの行動が頭をよぎる分、絵を描きたいとか、表現したい気持ちを堰き止めているように思ったので、そうだなあ。
もし描きたいというのなら、姉さんやらに何か言われても…、実際言われたら気にはなるのだろうけど、「まあ、いつもの姉のいう事だしな」くらいに思えればいい…
…のかもしれんが、まあ、そう言われても事が起これば迷惑な気になるだろうしな。
とりあえず、自信とか関係なく、絵は描きたいから描くもんだ。
上手くなりたいという気持ちがあればそれだけでもいいし、それを抜きに表現したいというだけでもいい。
言われるまでもないかもしれんが、もしも上手くなりたいというのであれば、よっぽどの才能か努力、あるいは運がない限り、こなした数が少ない中で、上手い絵を描けるかというと難しい。
そもそも、絵は自由なものなので、何が目指す場所なのかという所も特にない。
あるとすれば、それは描き手の意思であって、「何が上手いと感じる絵なのか」という感覚や描き方も、身につく…というより、積み重なって、形成されていくものなのではないかと思う。
人から見た評価、というのもそうで、描き方が解らないなりの評価と、解った上での評価というものはまた訳が違う。
俺も小学校の頃描いた絵に、一度だけ、なんかの賞を貰った事があるが、なんというのだろうな。
あの頃は自分の絵の、何が上手いかなどさっぱり解らなかった。
ただ、今になって分かるのは、色をどのように付けたかというのは、絵を描いた奴には、直に絵を見てみると、それとなく解るっぽいって事だな。
勝手ながら、かつての小瓶主さんの絵を拝見させて貰ったが、水彩の色使いと言うのか、あえて水の量を多くしたり、筆先から水滴を垂らしたりしないと、そこまでぼやけたりしないし、あの色の付け方だと、結構描くのに時間が掛かるんじゃないかね。
俺も、昔の事はよく覚えていないが、やってた事はあるからな。
評価していいのかよくは解らんので、失礼に当たったら申し訳ないのだが…、無礼を承知で書かせて頂ければ。
主さんがそこまで色を付けた根気とか、労力が感じられる事、そしてなによりも、全体的な色遣い。
これを幼い当時、どこからどこまで考えてやったのか、考えてなかったのかはさて置き、一枚の絵として見れば、小学三年生の描く絵としてかなり上手い部類に入ったのではないかと俺は思う。
自分語りで悪いが、俺の絵はどっか行っちまったからもう解らんで…(どっかに展示されたかなんかで、手元に帰って来てない気がする)、ただ昔褒められたのだけは覚えててな。
昔から絵を描くのは好きだったが、その賞を取れたからか、絵を描きたいのかなんなのか、よく意識するというのか、身近な存在になっていったのだよな。
自信が出る可能性は…限りなく低いですね。
自己肯定感0だからなのか、自分が書いた字とか絵とか見るだけでも嫌悪感やら気持ち悪さやらが出てしまいますし。
なので向き合い様も無いです。
おお、何てヘタレ。
心理検査の紙を見た、小瓶主さんの姉さんが、「だから君、絵下手なのか」といっても、その言葉のみを見た所で、何が「だから」なのかという説明には一切なっていないし、悪意があろうとなかろうと、それを口に出された所で、単なる嫌味にしか聞こえない。
…一応、心理検査の紙を見て、姉さんのよく解らん理解の仕方から、「だから」と勝手に納得された、という推測は立てられるが、「絵に対しての具体的な評価」にはなっていないので、どう考えてもその「だから」という言葉を起点にして、向上点を考える事は難しいように思う。
あと、そういった事と同じく…、どこから「罪の意識」的な、その言葉を聞いたのかは解らんが、言葉というのも、適した状況や、その言葉を発した当人の思う事が見えて来なければ、単なる言葉でしかなく、こちらからその言葉の意味を探る他の事は出来ない。
(格言や座右の銘と呼ばれるものもそうだ)
勝手察するに、その罪の意識などという概念に関する言葉は、自分自身を責めてしまう時、自身に「罪」があるという認識から、存在そのものを否定しないようにしようという認識のあり方を示したもの…
いわばその当人が「こうした方がいいと思う」という言葉を、状況に合わせて発したものではないだろうか。
であれば、適さないと思われる、この状況に対して、その言葉を意識しても仕方がない。
この小瓶に書いた内容の場合、絵を描くなどの行動が悪かったのではなくて、単に姉さんの言い方に、非があったように思えるのだが…
その場合、小瓶主さんには特に非もないので、どこにも出口などなく、最初から入り口などもなく、堂々巡りを起こしているのではないかと邪推するが、如何だろうか。
姉さんが勝手に出来上がった絵を見ようとしてくるのは防ぎようがないというか、隠すしかないだろうし、隠した所で強引に見ようとされれば見つかる事もあるだろうが…
表現した上で誰にも見せようとしないという事は出来る。
自信が出てきて、誰かに見せたい、評価を貰いたいと思うのなら出してみてもいいだろうし、もしもその時があるとすれば、「どこが」上手いとか、下手に感じるとか、そこを聞く事ができれば、更なる向上に繋がるかもしれんな。
ただ、自分の絵を見て、どこをどうしたかったが上手くいかなかったとか、ここは思いの外上手くいったとか、そういった事が解るのであれば、それに基づいて向上点を意識する事も出来る。
自分の絵と向き合う事が出来るのなら、それもまた一つの手だよな。
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