自分に自信を持てなんて言われるけど、私には
そんな格好いいことできない。心が弱いから、
言い負けする。とても格好悪い。どこかで逃げて
るんだと思う。人の目を気にしている。逃げた
ことは全て帰ってくる。その重みだ。誰のもの
でもなく、私の。
美しい人になりたい。魅力的な人間になりたい。
自分で自分のことをきちんとできる人になりたい。
私に能力はないが、周りに凄い人がたくさんいる
お陰で幸せに過ごせている。その感謝を絶対に
忘れてはいけない。自分を捨てることと大切に
すること。捨て身でいる。体感としてはこちらの
方が幸せだと感じる。自分を愛するって言う
けど、大事にするというのがよく分からない。
はっきりノーと言うことだろうか。死ぬまで
変わらない個性みたいなものがあると思っている。
そんなのは幻想。人が何を言おうが公式発表でも
ない限り、言ってることがコロコロ変わるのは
当たり前のことだ。真実は一つだと思うのに、
いつも二面性あるのは不思議だ。逆に言えば、
一貫しているということが美徳のように言わ
れるけれど実は表裏の一面しか述べていない、
安心させるためだけのパフォーマンスなのかも
しれない。自分を愛するというのは、何かに
しがみつかないこと。常に変わるということを
掴むこと。感情がネガティブに傾いていても、
状況が悪くても、移りゆく場面の一つだと知る
こと。ネガティブな感情はひっくり返せば、
莫大なエネルギー。自分を捨てても砂金のように
残る愛情が、豊かにしてくれるだろう。
美しく魅力ある人間って容姿が良いとかじゃないです。
そういう意味で美しく魅力ある人間って言っていたら語弊がある。
よく外見良ければそれで美しい認定かける人いますが、外面の魅力なんてのは大したことないです。
自分は外見は良い方なので分かりますが、外見がよくても救いようのない人間はいます。
外見を褒め称えてくる人間はその人の中身なんかオマケ程度にしか見ていない人ばかりです。外見さえ良ければいい、そんな風に思っているような人間が次から次へと自分の元に寄ってきます。
外見、外見って、なんだか馬鹿げているなと感じます。見てくれに騙されるような人は多く、騙されたと判ればお前が悪い呼ばわり。
大体、外見に気を取られていったあなたも悪いでしょうという話です。
どう生きていきたいか、何をしたいか、目安になる自分の感性で自由に生きていきたいものです。