水の流れを思い出して、わたしはこれと同じ
なのだと思い出すようにしている。わたしと
いう感覚が、痛みや寒さを感じるのと同じように
生じていて、わたしが何かを選んでいるのでは
なく、記憶や五感に従って身体が勝手に反応して
いるのを、わたしが何かをした(された)と錯覚して
いるのだと。水が流れるのと同じように、身体が
動いているだけ。だから、水が流れていることに
褒めたり批判したりはしないように、ありのまま
でいる以外に存在価値が揺らがない。ありのまま
とはつまり、やりたい時にやりたいことをすると
いうこと。だから一つでもいいし、たくさんあって
もよい。やりたくない時があってもいいし、急に
やり始めてもよい。それがただ生きているという
こと。わたしが実体を持っていると錯覚した時に、
罪悪感や不足感、無価値感などの幻覚が生じるの
だろう。愛は与えるべきもの。執着は手放すべき
もの。わたしが無いと分かると、わたしが与える
のではなく、わたしが手放すのでもないことが
分かる。つまり、やりたいと思うのはわたしでは
なく、やりたい時にやりたいことをする、それが
ありのままであり、自由であり、愛であり、手放す
ということ。