数ミリずつかもしれないが、何かが動いて
いるような気がする。まず心が少しだけ
楽になった。偶然ではなく、不快なことが
あっても軌道修正できるような気がする。
生存の安心が保証されたから。いつでも。
この愛が満ちて来る感覚を、少し時間は
かかるが、自分で生み出すことができる
ようになったから。もう少し鍛錬が必要だ。
存在価値について随分考えて来たが、
無価値感の方ではなく、何に価値を置いて
いるのかについては皆目分からなかった。
美しいと感じるもの。もっと言うと、美しい
と理解できる自分をこよなく愛しているの
だと気付いた。何が起こっていたのだろう。
自分が嫌で堪らなかったはずなのに。
不器用さに。要領の悪さに。勇気のなさに。
成功体験を幼い頃にしたから。いい成績を
取ることで親の愛を欲しいままにした。
それを無意識に続けてきた。自分の能力に
ついて考えもせず結果ばかり見て傷付き、
自信を失った。初めから世界は美しいもので
溢れていた。それを見なくなったのは私だ。
価値感は幻想であるからこそ、美しくも醜くも
なり得る。何に価値を置くかは自由。それに
よっては、ジェットコースターのように感情
が上下する。他人の評価に置くか、自分の
美意識に置くか。人生はきっと180°変わる。
せっかく美しさをキャッチする素晴らしい
センサーを授かったのに、埃を被って眠らせて
しまっていた。もう大丈夫。