本当に毎日が幸せで、感謝しています。
私は役に立ちたいけれど、自分の能力の範疇でないと、
過去に争いが起きてしまったこともあり、忙しさは望まない。
だけど思い込みとして、仕事中は隙間なく役に立っていなければ
存在する意味がないというのがあり、焦燥感や罪悪感に襲われます。
でも、魂は、穏やかに過ごす方が優先で、その通りの現実になっている。
役に立ちたいというのは義務から来ていて、本心は他にやりたいことがある。
というより、義務と感じた瞬間にやりたいことではなくなる。
存在が愛に繋がることが最優先。
思い込み、自分を信じることができない。
現実を生きていると、不足が目に付いて悲しくなる。
でも、魂が求めているものは、愛。
どうして反対のことをしてしまうのかが分からない。
変えるには、見方を変えなければ変わらない。
できないから、できるに思いを変えなければ。
なぜとかどうやってとかではなく。
自分を信じられないと思うから、信じられない。
役に立たなければいけない、不足してはいけない。
つまり現状が役に立っていない、不足していると思うから、そうなる。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
〜しなければならない、って思考は時に人を苦しめる。
したいことがあるのならすればいい。
だけどそれに人を巻き込むな。
自分のしたいこと優先なら一人で耐え忍んでいく覚悟や強さは必要不可欠だと思います。
誰かがいなきゃ出来ないと判断するぐらいなら、それは間違い。
したいことしたい人は人を巻き込まずに辛くても一人でいる。
ただ寂しくて寂しくて愛に飢えているのなら、主さんにはまだまだ考えないとならないことが沢山あるのだと感じます。
冬
魂が愛に繋がっているという感覚は素敵。
人はここに遊びに来てるってことなら、ここでやることはなくちゃね。
主さんにとってそれは、役に立つという想いとその行為なんじゃないかな。役に立ちたいということが、主さんの価値観であり、同時に支えでもある。
でも時々その想いは暴走してしまう。それがなくちゃダメだって勘違いしてしまう、価値観や支えは自分を個足らしめる大事なものだから。
そしてそれは実はエゴって名前の自我でもある。自我は、そういう人でなくなくちゃダメなんだよーっ、価値がないジャーンって揺さぶりをかけてくる。
暴走が始まったエゴはよしよしってしてあげる。そうか、そうか、あんたはそれをやらなきゃだめだと思ってるんだねえ、悲しいねえ、辛いねえって。それが自分を客観視するってこと。自覚するっていう言い方もある。
自我と魂はべつものなんだね、きっと。
自我が引き起こす揺れる感情や情動を無き者にするでもなく、飲み込まれるでもなく、そこにあるんだと落ち着かせることをマインドフルネスっていうらしいよ。
その状態は魂が愛であるってことと繋がる気がする。
私も整理したくて、主さんの小瓶にお返事書かせて貰いました。ありがとう。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください