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私の感情をただ認めてほしくて素直な言葉を投げるとほとんどかならず酷い目に会ってきた

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私の感情は当たり前のものだし、だからこそ、そんなに特別なものじゃない。

認められなくて当たり前のものではない。他者にとって、汚いものでも恐ろしいものでもない。

ただ、たまたま誰にも認められてこなかっただけ。
私の感情をただ認めてほしくて素直な言葉を投げるとほとんどかならず酷い目に会ってきたが、それは自分の感情が恐ろしいもの・間違ったものだったからだというわけではないし、しかし同時に、そのような悲劇は誰にとってもありふれたものということでもあった。

ただ私はそれを知るに足るほどに、誰かに自分の感情を受け止めてもらったことがないだけ。
そうした、ごくごくありふれた、本当につまらない出来事の連続で生きてきただけ。
そうしてそのうち、感情の素直な出し方を忘れただけ。
そして、そのことには、たいしたストーリーもない。

私の感情がわざわざなにかに祀りあげられる必要はない。
必要以上に恐れる必要も、必要以上に神聖視する必要も、必要以上に忌避する必要もない。
感情を、何かの物語として回収する必要も必ずしもない。

感情はあくまで無意味だが、無意味だからこそ、それは私がどう取り扱おうが自由なものだ。
だけどやはりそのことすら、どこまでもいっても無意味だ。

感情に意味を持たせ、物語に回収しようとしないで。私はいつか、その物語に縛られることになるから。
私の感情は、無意味で自由だ。

という、気付きと自戒。

いつか私が純粋に無意味で自由な感情で人と繋がれる日は、果たしてやってくるのだろうか。

単純なものを、壮大なものにすり替えられ、暗に否定されてきた人生だった。
だから私も同じく、私の単純な感情が他人の壮大な物語に容易に組み込まれないようにと、私の単純な感情が単純な感情のままであれるような壮大な物語を自ら組み立てようとしてきた。
そのように対抗しようとしてきた。
しかしそれすらも、試みた直後にはすぐに否定したくなった。そんなことをする自分が嫌いになった。
そんなことを繰り返してきて、そしてどちらも馬鹿らしいと今さら思った。

文芸作品を一時期読めなくなった。
それは文学の、いや芸術の最たる意義であろう単純な感情の単純な表出を、当時の私には認めることができなかったからなのだと思う。

しかし、私が誰かに受け止めて欲しかった感情とは一体何だったのか。
とても多岐に渡るもののような気もするし、とてつもなく質量の大きな一つの感情のような気もする。

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