最近、愛を感じられるようになった。深層では少しずつそうなっていたんだと思うけれど、気付いたらという感じ。少し前まで、死にたいと思うこと、自分を責めること、当たり前だったのに。
エゴについてまとめてみる。自分のやりたいようにやることだと思っていたが、多分逆だ。自分のやりたくないことを、誰かのジャッジに従ってやることをエゴというのではないか。常に動機と評価が付きまとう。こういう理由があるからやっている、正しい、間違っている。驚く。今までそうだと信じてきたことが180°違っていると。
恋愛についてはどうだろう。ただ愛している。存在が愛おしい。もし、こういう部分があるから好き、ジャッジに照らして正しいから好き、な相手であれば、それは愛ではない。エゴである。
自分を責めなくなったのは、愛されたいという思いを素直に認められるようになったからだと思う。分別が外れた無分別の境地を知って、さらに、さんざん痛めつけたのに微動だにしない領域があることに気付いて、親から間違って受け取ってしまった条件付きの愛、つまりエゴが何であるかを知って、そのために苦しんでいたのだと知る。愛、完全、たった一つの存在、魂はずっとそれを求めていた。意識でブロック、条件を消滅させる。そして今。
現実を動かすこと。無条件の愛を知った今、その光を遠くまで届けたい。愛されたいとは、愛を感じたい。愛したいとは、愛に気付いてもらいたい。自己の中で愛は完結する。では、愛する相手が存在するのはなぜ?
男女の愛が統合するには、さらなる試練が伴う。相手を失うかもしれない恐れ。より光が強化される。結び付いた男女それぞれが、やりたいこと、つまり愛していること通じて、愛の波動を広げること。それが私たちが生まれてきた意味なのではないだろうか。
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まりちゃん
読んでいて、
蝶になりたい蛾、さん
(あてめの常連さん)を
思い出しました。
ガチで向き合っている
葛藤の感じが。
検索小窓から小瓶読んでみると
結構、今でも、
よいのです。
おすすめ〜〜!!
(任意ね)
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