母の呪いがしんどい。
同性親子だから趣味の共有とか友達のような関係になるのは仕方ないとして、
職場の愚痴、家族の愚痴、父方の親戚の愚痴を聞かされることがある。
母親の価値観がずっと付きまとってくる。
私はここ数年で「自分と他人とは違うし、自分が正しいと思ってしていることを、少なくともみっともないとか嗤われるとか、そういう文脈で他人にあれこれ口出しされるいわれはない」という価値観をちゃんと育ててきた。
母親の価値観はだいたい「みっともない、笑われる、他人にどうこう言われる」とかだ。「みっともない」という言葉は私の嫌いな言葉。同調圧力に押し込めることが正当化されてしまう。
そういうことはかれこれだいぶあったんだけど、どうして今になってこんな小瓶を流しているのかというと、個人的に特別イラっとした言葉があったからだ。
「あんたもいつか○○大学に通っておいてこんな仕事してるの?って言われるようになるよ」
「そんなの放っておけばよくない?」
「でもいつか言われるようになるよ」
放っておけばよくないって言ったじゃない、私。それをわざわざ今就職の事を何も考えていない学生の私に言ってどうするんだろう?
これから先こんなにつらいことがあるから人生諦めて生きろってことかな。
私は小学校中学校馬鹿にされて卑屈になって生きてきたけどどうにかこうにか明るい考えもできるようにしたのに。
なんで今になって人から笑われることを気にしなきゃいけないのかな?
やっぱりみっともない娘は嫌なのかな。馬鹿にされるから。親戚から不愛想な子ってバカにされて、その親戚の悪口を吹聴して嫌なイメージ植え付けたのはどこのどいつだろう?
すごく腹が立ったから投稿したけど、母親自身には怒りの矛先を向けたくないし、いずれこんな小瓶を投稿したことを後悔しても、この瞬間に感じた母親の言動に対する怒りは間違っていないし誰にも否定できない。