昔から、とても不器用でした。
『二足の草鞋を履く』
なんてできなくて。
何かを為すなら、どちらかを撰ばないと、やりきることができなくて…。
そんな自分が嫌いです。
でも、撰んだ『選択』と引き換えに為した『成果』を『後悔』だけはしたくないんです。
『後悔』したら、『頑張った自分』も、否定してしまう、そんな気がするんです。
選び取って、できなかった事も、確かにあるけど、できるようになった自分も、確かに、居る。
それは、『後悔』して、否定していい『自分』なんかじゃ決してなくて。
確かに、ほかの人よりもできるようになるのはすごく遅いけど。
ちゃんとできるようになる自分は嫌いじゃないから。
少しは、『不器用な自分』、好きになろうと思います。
ガラス玉