良かった、と安堵した
誰に教わるでもなく自然に『自分自身を悪者にすれば家族も友達も団結できる』と考えついた小学生時代のわたしに漸く答えを渡すことができた
当時も違和感は覚えたかもしれないが、母に「ぶち壊し屋だね」と称されたことを思えばすんなりと飲み込めた
そもそも母の言よりも前に、父の「何も持ってないな」という言葉があった、ちなみに幼稚園児のわたしは特に反論せず納得したのだった
それらをそのまま自己評価にして成人した
十何年越しに一つ解決できて私は心底ほっとしている
アダルトチルドレンの特徴の一つに、「スケープゴート」があるのだそうだ
たまたま解説しているサイトに辿り着き、読んでみると自分に当てはまる箇所があまりに多くて震えた
どこまでがプラシーボ効果だったのかは分からないけど、昔からこう考えていた
『家族・親戚・学校・友人、自分自身の属するカテゴリ別に丸で括ってみる。試しにわたし自身を省いてみたら、その方が彼らは生き生きとして楽しそうだった』と
今から思えば、根っこには父母の言葉があったのだろう
失敗する度に、和を乱す毎に記憶も考えも猛威を振るった
そして操られるように、または自ら進んで省かれる役を買って出た
忘れる努力をせず、忘れられないままで後生大事に持っている
益にならないしとても滑稽だと自覚している、でも輪の外で傍観しながら耐えていたわたしを、私だけは見捨てたくないと思ってしまう
『これで誰も傷つかない』と彼女は思い出したように零すのだ
彼らが団結できるように立ち回れば良いだけだった
完結している場所に入り込める余地はない、彼らもこっちを見ないのだからわたしが消えるのは簡単だった
私は、自分自身の性格がとても歪んでいることを理解している
人の不幸は蜜の味とは思わない、特別聞きたくもなければひたすらにどうでも良いし興味もない
ただ、もし手助けを求められ、かつ以前のわたしが括った中にいるならどれだけ気に食わない相手であろうが今も昔も全力でサポートするのだと思う
それはきっと承認欲求の成れの果てであるだろうし、(家事を一手に引き受けていた私に父が放った)「犠牲心でやっているならいっそ迷惑だ」と言われてしまう類のものだ
要は下心ありきと映るらしい、言われるまで気付きもしなかった
自己犠牲も優しさも私には存在しないはずだ
ならば何故、蚊帳の外に自身を置きたがるのだろうとずっと考えていた
そうするのに異論はない、うまく回るのを見てきたから尚更だ
だからこれは長年温めていた純粋な疑問だった
時間は掛かったけど答えを見つけた、スケープゴート癖とでも呼ぶとしようか
厄介かつ面倒ではあるけれど、私は恐らく改めないと思う
癖になっているのもあるし、それ以外の考え方が出来るほど私は柔軟ではない
拒絶も否定もどことなく漂う「空気読めよ」も怖くて怖くて仕方ない
ついでに新しい輪を見つけることにも無気力だ
結局私は臆病で卑怯で怠惰で、いつかの両親の言は的を射ていたのだと認めるより他はない
否定したくて泣いたわたしを、見つけた答えで以て葬るのもまた一興
私もエスケープゴートだと最近わかりました。
何故こんなに疎まれ人格否定されるのか…自分が至らないからだとずっと自分を責めていました。
母親は姉と居ると凶変し、2人で陰湿に追いつめます。
私が泣いたり落ち込んでいるととても嬉しそうな顔をしていて吐きそうになります…だから最近は嬉しいも悲しいも全ての私の情報は明かさないようになりました。
無視をする私に母親はキレ物に当たり散らしますが冷静に対処し無でいます。
姉は子どもを産んだのですが、その子が今またエスケープゴートになりつつあり、とてもつらいのですが、早い内に家を出て絶縁するつもりです。
いつも私が間違っているっと思い込んでいました。
他の方の話を聞くと客観的に状況が見えるようになり健全ではないと離れるべきと答えが出ました。
ありがとうございます。
››でも輪の外で傍観しながら耐えていたわたしを、私だけは見捨てたくないと思ってしまう
何故か、この文だけで視界が滲みました。
結婚し、出産し、色々ありながら子育て続けてもうすぐ12年です。
子供が成長していく毎に、私が子供だった頃の事を思い出して矛盾や理不尽という感情が出てくるのです。
思いきって夫に全て話してみて、私が受けた扱いは、一般家庭とは違うものだったと言うことを確認しました。わかっていたけど知りたくなかったことや、こんなことも違ったのかと、カウンセリングのように何度も何度も同じ話をして昇華させようとしました。
親になって、我が子に置き換えて幼い頃の私を見たとき、可哀想で切なくなって、やりきれない気持ちになりました。
おどけてみせて叱られて、スケープゴートだったり、姉だからと家事を手伝い留守番をして支え役であったんだと、とても重い荷物を持ちながら、大人であることに応えようとしていたのだと思います。
妹との微妙な扱いの差も、今であればハッキリ抗議出来るでしょうが、子供の頃はキュッとなる喉で息をしながら我慢するしかありませんでした。
妹は許され、また笑って済むことが、私には与えられなかった。
姉であるからというだけで父から目の敵にされていたのも、父のコンプレックスから来るものだったのでしょう。
私には関係ありません。
愛されなかったとは思いません。
愛情の方向がおかしかっただけで。
心の整理がつくと、愛されてなかったとしてもいい。あの扱いを愛情とは認めない。とすら思うようになりました。
大人になった今、両親と妹の記憶は書き換えられているようで、私の気持ちをわかってもらおうとは微塵も思いません。
スケープゴートは、物理的に離れようが扱いは変わりません。
私の家族は、夫と子供たちだけです。
そして、子供たちへの愛情を間違わないように、私がされたくなかったことは何があってもしない。してほしかったけど与えられなかった事は目一杯しよう。
と肝に銘じています。
まとまらない長文で、失礼いたしました。