これからも、長生きする予定だし
これからも、楽しいことをする予定だし
これからも、たくさん遊ぶ予定だし
これからも、美味しいものをいっぱい食べる予定だけど
些細なことがとてもつらくてその予定をぐちゃぐちゃにしてしまいたくなる。
その辛いことを誰に吐き出したら良いのかわからなくて。一生懸命飲み込んでいる感じ。
しにたいし、なにもたのしくないし、あそびたくないし、だれにもあいたくないし、なにもたべたくなくなる。
だから寝るけど寝てばかりいると得体のしれない罪悪感で無理やり起こされる。そんな感じ。
正直寝てる時が一番楽なだけに一番辛くなる
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ななしさん
私もそのようなことがよくありました ですが私の経験したのより辛いに決まってるじゃん!と思っているかも知れません。 私もかつて、同情されるのは好きではありませんでした… ですが私は先程話したように、あなたと同じような経験を患っています… なので、少しでもいいのであなたの力になりたいと、あなたのような方の支えになりたいと。
辛い時を乗り越えたのにも、1人の力ではありませんでした、 私の支えになってくれた方がいたおかげで今の私がいると思っています。
私が言いたいのは、1人で考え込まないでください。 あなたに何か趣味や好きなことはありますか? ぜひその趣味を分け合える人を探してください。 私の身近にはいませんでしたが、今あなたはインターネットを使っていますよね。 インターネットからは趣味を、同じ趣味を持っている人が必ずいます。
私は私の趣味を持っている人達と今は…今は繋がってはいませんが、必ずいつか繋がれます! 趣味がなかったのなら、新しい何かを、探してみてください! 私はあなたの味方です! 何言ってんだ!と思うかもしれませんが、これがあなたに対して私の出来ることです。
長文失礼しました
何かになろうとしたり、何かをしなければならないと感じると、寝ていることに罪悪感が募るのかもしれないと思いました。
世の中はdoやdoingの人たちを奨励する。私もそんなお返事を書いていたような気がしますし、また書くかもしれない。同時に最近しないという選択肢もあるなあと思うようになりました。
しないことを、する。それもまた良き選択であり、また良き結論な気もします。
罪悪感は直接的には無駄じゃないと思うのですが、心身ともに消耗するという意味でつまんないことだと感じます。
罪悪感の裏側にある何かをしなくてはならないなんてそんなことはない。それは大いなる刷り込みでしょう。
非生産に幸あれ。でもそれは消費に幸あれではありません。そこんところが難しい。
起きないとそのうち勝手に起きたいと思う、生きている人は。その僅かばかりのでも本当の、真実のdoに従えば良いのだろうと、そんなことをふわっと思いました、主さんの小瓶を読んで。
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