すごくわかります。
辛くて苦しい。
ある日、自分の事が急に客観的に見えて、自分の事が誰にも認めてもらえず苦しがっていて可哀想に思えました。
そしてせめて私くらいは、私を認めてあげてみようかなと思いました。
そんなのわがままだったり自分勝手な人がやる事だと思っていましたが、どうせ今すでに誰からも認められていないのだから、もういいかなと思ったんです。
どうせ底辺だしなと。
もう変わろうとしなくていい。
そのままでいい。
今まで頑張ってきたんだから、しばらくは自分を甘やかしてやろう。
好きな事しよう。楽しい事しよう。誰かに迷惑かけないように1人で好きにやろう。
なんていわれてももいいや。
少し勇気が入りましたが、やってみると段々と気持ちがラクになってきました。
それに、自分は他人から認めてもらえなかったけど、私が他人を認めていればいいかなと思うようになって、そうしていくうちに少しずつですが、周りの人達の態度が変わってきた気がしています。
今、私もそう思ってる。
私の立ち位置は誰が変わってもいいし、他の人ならもう少し上手くやれるんだろうなって思ってる。
私のことを唯一認めてくれてた彼にフラれて余計に私の居場所なんかなくて、仕事も上手くいかなくて、家庭環境も違う人だったら、もっといいんだろうなって、求められることを求められる前に出来るんだろうなって思う。
承認欲求は増していくばっかりで、何歳であっても認められたいし、褒められたい。
そのままを伝えるのもばかばかしいし、なに言ってんの?って言われそうだけど、顔の見えない人は、怖いばっかりじゃない。
顔が見えないからこそ、優しさもあるから
現実世界とは違う人と話してみて、自分にしかない会話をしてみませんか?
別に、必要とされていなくてもいいんじゃないの。
私は特別な才能は何もできないし、仕事だって私じゃなくても出来るような仕事をやってるけど、
私は某YouTuberが好きだから見たいし、原宿のクレームブリュレが好きだからこれからもたくさん食べたいし、親友の美容師にただで前髪切ってもらいたいし、そのお礼にカラオケ代おごって一緒にがなったりしたい。
私が絶対必要とされてる場所は無くても、私が好きで必要としてるものがたくさんある世界だから、楽しいし生きたいと思う。
価値のある特別な人じゃなきゃ駄目、なんて。特別な人がたくさんいたら、それはもう価値でも特別でもないじゃん。
ほとんどの人は特別な人じゃない。
でも自分が幸せに生きることを、自分で許してあげてる。
もう少し主体的に生きてみない?
あなたが幸せになることに、誰の許可も要らないんだよ。