吐き出しです。
”わからないこと”に直面した時の”責められている感覚”が強くなってきた。無教養な自分を誰かが罵っているような、そんな感覚。
まあ、無教養と言っても高校で習ったことは半分くらい覚えているんだけどね。
一度友人達にネット関係の話題(フェイク)になった時「AndroidってLinuxなんだって、Linuxって身近に有るんだね(フェイク)」と言ったら「そんなの知ってて当然でしょ!?」「その程度で自慢げに語らないほうがいいよ」となじられてしまい(口調がマジのトーンだったので本気でキレてたのは確信が持てる)
、それからと言うもの自分の知識に自信が持てなくなってしまった。
自慢げに語ったつもりなんてなくて、単に「知らなかったけど最近知って驚いたこと」を言っただけなのにこう言われると心が痛い。
それからその友人と話すときは聞き役に徹するようにしている。自分の”中途半端な知識”を自慢に取られるくらいなら知らないふりしてたほうが楽だ。
友人は会うたびにこちらに知識”自慢”をしているというのに、こちらが何か言うと怒るんだ。意味がわからない。
「え?こんなこともわからないの?」と言われたりすると流石に堪える。
その友人は”就活用一般常識模試”の順位が大学で一位だったらしい。その話題になった時の彼女の瞳はいつもより強い輝きを放っていたような、そんな気がする。
そういえば、地元談義中に私が大好きな地元(A市)の話をして、「もしも部活とかで行ったら楽しんできてね!」と言ったら「小さい頃A市に一回行ったから行かなくていいよね?(命令してないのにこの返事)」「A市なんか絶対行かねぇよバーカ!」と罵られた。(冗談にしては酷くないかな)
因みに彼女はA市自体に恨みは無いらしい。
正直悲しくて縁切ってやろうと思った。私を罵るのは構わないが地元を罵る奴は絶対に許さない。特にめぼしい品のないA市にふるさと納税しようと思うくらいにA市が好きなのに。
恋人を侮辱されて激昂する人の気持ちがわかる(それは違うよ!)
何が彼女をここまでさせるのだろうか。マジでエンきりたい!……本気で縁切り神社に行こうかと思索しています。
傷つく”だけ”の友情ってなんだろう。本当に友情なのかな。
「私は心理学に強いし、人の行動や考えが読める」と本気で言っていたから、私が傷つくことを承知したうえで地元を罵倒したのかな、とか考えてしまう。
教養って一朝一夕には身につかないから取り敢えず簡単そうなビジネス書と興味のある分野である哲学と医学、薬学の本を読むようにしてる。
もちろん地元の新聞も欠かさず読むよ。地元愛だけが取り柄だからね!
なんか少しスッキリした。友人に苛ついていた事が主だった原因なのかもしれない。
結論:縁切り神社を調べることにした