わたし 人の愚痴とか悪口とかすごく嫌な時期があって、 そういうの全部吸収して 何故か自分がどんどん落ち込んで暗い気持ちになるのを繰り返していた。
愚痴の種類にもよるのかな?
わたしは 友人がほかの人の 愚痴言うのが 耐えられなかった。親密度は関係なくて、クラスのあまり話さない子が他クラスの 顔見知り程度の子の愚痴を言ってるだけで 嫌気がさした。
自分が愚痴を言うのも嫌で
勝手に ストレス溜めて お腹痛めて 学校行きたくないなーってなった。(もちろん他にも 自覚なしの理由はあると思うけど)
いま思うと 相当生き辛い 心。頭。
いまは
過度に反応しないし 前みたいな嫌悪感もない。
わたしは、全部が嫌になったとき、学校に行くのをやめたし、習い事も全部やめた。
1日に話す人は 多くて3人くらい。
辛くなったら 全部やめて いいと思うなあ
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ななしさん
私が思うにおそらくは貴方は共感能力が高いんだと思います。
共感能力の高い人をエンパスと呼ぶそうです。他人の感情をスポンジみたいにどんどん吸収して、自分の感情のように感じてしまうそうなので、心が疲弊してしまうらしいです。
私にも身に覚えがあります。
わたしの場合は育った家庭環境がそうさせたと言うことがわかりました。
この後の文章は↓↑の間はわたしの場合の体験が入ります。感情を拾ってしまいそうでしたら、読み飛ばして下さい。
ただし、あまり感情を交えずに解説してます
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(わたしの場合は親から虐待を受けて育ちました。親がなにかと機嫌が悪くなるので先回りして気を利かせて行動してたので、人の感情に敏感だったようです)
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けれども、私と小瓶主さんが同じ環境にあるとはわからないですし、ここで詳しく説明するのも感情を拾ってしまいやすくなるので、「共感能力が高い人」や「エンパス」でネットで検索してみてください。
よい解決策が見つかることを祈ってます。
このお返事自体ほんとに、斜め読みでいいんだけどね。
愚痴に種類なんかないんだよ。
そう思うなら、それ全部、そこにあっていいんだよ。
思っていいんだよ。
死ねッて思っても、ぶっ殺しに行くわけじゃないでしょ?
感情と行動は、また、別でしょ?
伝えないといけないなら言えばいい。
沸き上がってるけど、言う必要なければ
意識に上げておけばいい。
感情って、浮かんでも、自分が深追いしなければ
放物線のカーブみたいに自然に消えて行くから。
(これは精神科医の本でも読んでください)
自分が、自分のその手の感情の存在を認めてないと
当然、たにんの負の感情も、排除したくなる。
至極、普通です。
きれいな面だけで、出来上がった人はおらんよ。
それは、一見理想に燃える良い事みたいだけど
喜怒哀楽から怒と哀を無きものにしようとしてるのと
同じ。
それは、人間じゃない。
好きになんかならんでいい。
ただ、在る、ことを認めるだけ。
損はない。
得もない。
わたしは、それを放棄してきたから、他人にやさしくなかった。
一番嫌っていたいた人、軽蔑していた人がいて
どうしてそう思うのだろうと、向き合ってみたら
キライでも軽蔑でもなく、
ただ、その人が、その感情を持つことを許せなかっただけでした。
それが投影の原形でした、わたしの場合は。
お父さんは、お酒という引き金がないと
負の感情が出せなかった。
それくらい、いい人と思われて生きたかったんだと思うと
いまでも、筆舌に尽くし難いほど
苦しい気持ちになる。
それが、許す、に◎がついた瞬間。
少しずつ、自分も他人も、愚痴も言っていい
弱さをさらしたっていいに
スライド中です.(おそッ)
それも含めて、人間だもん。
まるごと人間だもん。
私事長くてごめんなさい。
ま、そういうのもあるので、学校やめる前に
よかったら読んでやってください。
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