友人を亡くしてから、ある考えに支配されている。
自分は今すごく孤独だと思う。
だけど、一人かと言われると、そういうわけではない。
メールだけだがよくやりとりする方(私は友達だと思っている)が一人、
深い関係ではないが、たまに話す方が数人。
友人が亡くなるまでの自分であれば、何も考えることはなかっただろう。
人間関係に恵まれている、と言ってもいい。
だが、今は満たされない。
自分が孤独なのは一人だからじゃなくてあいつがいないからだ。
あいつがいないと意味がないんだ。
だからいくら友人ができても孤独なのは変わらない。
死んだ友人より性格が良くても、死んだ友人より気が合っても。
あいつが死んだことで全て変わった。
誰かと仲良くなれば、その人の不幸が頭によぎりパニックになる。
とてつもなく怖い。
他人の死がトラウマになっている。
なのに自分は矛盾した行動をとっている。
”死にそうな人を探す”
言い方はあまり良くないかもしれないけれど、自傷痕があったり、孤独に見えたりする人に惹かれるのだ。
これにはすごく複雑な思いが関係している。
まずは共感だと思う。
自分と同じような人を見ると「この人も自分と同じような経験をしてきたのだろうか」と思う。
そして、実際そういう人が多い。
自分を理解してくれる。受け入れてくれる。
また、重い話をしても引かれない。ちゃんと聞いてくれる。
だから一緒にいると安心する。
そして、向こうから自分と一緒にいたいと言ってくれることがある。
ずっと孤独である私にとっては、すごく刺激的な一言である。
また、「助けたい」という気持ちも大きい。
自分と同じように苦しんでいる人の力になりたい。
苦しんでほしくない。
気持ちがわかるからそういう人を見るとすごく辛い。
「助けたい」ではなく「助けなきゃいけない」、「助けないと自分が辛い」
義務のように感じるのだ。
だから私は、他人の死がトラウマになっているのにも関わらず、死にそうな人にすがり、依存する。
その人を失う恐怖もわかっている。失うことを想像してパニックになる。そして、失う確率が高いことも知っている。
それでも離れられない。
強引に隔離でもされない限り。
そうして仲良くなった人は今年の半ば音信不通になった。
今生きているのかもわからない。
音信不通になる少し前に電話をかけてくれた。
あまりうまく聞き取れなかったが、助けを求めているように感じた。
私は何もできなかった。
私は鬱になった。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください