誰かの悲しみや苦しみの詰まった小瓶を拾う度に
世界の問題に立ち向かってる気持ちになる。
みんな誰にも言えなくて
だけど誰かに聞いてほしくて
時には
近くの人誰にも話せなくて小瓶を流す
大人が頼りにならないんぢゃなくて?
だってあたしたまに思うよ
なんで「若い子は」って言ってる大人が、あたしを追い越して赤く光る信号を渡っていくの?
大人だってきっと「大人」っていう肩書きに押しつぶされてるんだ
誰だってみんなひとりで
誰だってみんなそばにいるの
‥世界の問題って言うより、人間の問題かな
なんで淋しいんだろうね
WHO CAN HELP THEM?
WHAT CAN HELP US?
難しいね
きっと誰もわからないんだろうな
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ななしさん
私も小瓶たちを拾いながら、スケールの大きな問題だな と感じます。
送り主さんに共感でき、ファンタジックな文に惹かれました。
佐野
ななしさん
とある仏教講師がトルストイですら仏教に見せられたと説いていましたから、もしかしたら、自分を最終的に救うのは自分かもしれませんね。
心を閉ざしていると、誰の言葉も響きませんから。
響いて、信じるも信じないも自分次第だから。
ななしさん
変化は仕方のないことです。あきらめのとは違い変質しているものと変質してないものと見分ける目が必要です。助けようとするばかりではなく、手本見本となるようなことでも良いと思います(^-^)だれもがほんとに寂しいはずです。それを泣かないやつは終わっているのです。左右されず、これでもかというめに合っても清く正しい心でありたいものですね。季節の変わり目などはとくに切なく 虚しく 寂しく悲しくなりますが、私も頑張って希望を潰さず生きていきたいと思います。例え少なくなってきてもまだまだ真剣に人のために懸命なもの、涙を子供のために流せるものが 自分の他にもいる限り。そして例え最後のひとりになっても自分は自分らしく死にたいです。
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