なんだか人生って儚いな
同じような人生を歩む同じような人
私もその中に埋没している
もちろん全員が全員じゃなくて、少しずつ違う。けどどれもこれといって秀でたものは少ない
成長しろだなんて成長した先に在るものは死
努力の先にも死、悲しみや喜びの先も死で幕を閉ざされる
私の人生はまあ普通。教科書読むだけで点取れたり、運動がほどほどにできたりはするけれど、そんな人昔も今もこれからもたくさんいる
他の人とは違った人間でありたい、というみんなと同じ言葉
受験とか頑張れる人いいなあ
私は無理だ。死ぬわけじゃないし、と規模をでかくして余裕ぶろうとする
なんかもう考えがまとまらないけど、死ぬ時がくるまでは自分の欲に従順でありたい
仕事で疲れて深い眠りにつきたい
お風呂は肩まで浸かりたい
お腹が鳴るのを楽しみたい
とか
私はこんなんだから、
気が付いたら死んでいる、そんな人生がいいなとか思ってしまう
夜に怯え朝日に目を瞬かせ
風と歌い雨と哀しみ雪と寄り添う
春に眠り夏は溺れ秋を堪能し冬を喰ふ
あーーなんかこんなイタイ発言や行動や気持ちも、誰かと同じなんだな
なんだか寂しいや
インターネットのない時代
夏は川で魚捕り、その場で焼いて食べるんだ
醤油と塩は必需品
秋は稲刈りが終った田んぼで野球
毎日泥んこで母親に怒られた
冬は雪の土手でソリ滑りやかまくら作り
春になれば鬼ごっこや缶蹴りで神社に子供の笑い声が戻っでくる
一人では出来ない遊びが多かった
先輩はいろんなことを教えてくれた
後輩には優しく接した
協調性は自然に身についたのかもしれないね
『〇〇ちゃんあそぼっ!』
コミュ症なんて子は周りに一人もいなかった
個に篭る個人主義の現代
神社や公園から子供の笑い声が消えた
そして皆が同じような悩みを抱える
ネットの中の協調性も信用も実際に培ったものではないから脆く崩れ去る
なんだか寂しいや
オッサンの独り言。
小瓶主さんみたいなこと、思ったことがあるかな。(今ですら思うこともあるけど)
やっぱ多分言葉や思いは似ているけど、背景も理由も細かいところが違うと思うんだよ。
それなのに同じに思える部分があるのが、面白いなと思ったりするんだ。
俺が面白いと思うように、生も死も、ただそれだけ、あるだけのものなのに、人は喜びや悲しみの色や意味を、いつの間にか付ける。
生と死の間があって、その間の瞬間を生きていて。
仕事で疲れて深い眠りにつきたい
お風呂は肩まで浸かりたい
お腹が鳴るのを楽しみたい
…とか、小さく思えるのかもしれなくても、素敵な事だと思う。自分の欲に従順って、なかなかいいんじゃないかな。
気が付いたその時はあっという間かもしれないけど、振り返ってみるとそれなりに濃かったりするかもしれない。
小さな事の積み重ねとかが。
やっぱ「他の人とは違った人間でありたい」って思いの中にも、それぞれの人が見てきたものや思いが詰まってる。
暗い事は言うな、明るい事だけ言えー!みたいなんじゃないんだけど、そういう言葉で思ってみると、多少は景色が広く見渡せるような気もするんだ。
…俺も余裕が欲しいのかもしれない。
まあ、きっとその人がその人として生きて、そこにあるだけで、一つ秀でていることと同等なのかもしれない。
そこにありふれているから、もしくは自分自身として常にそこにあるからこそ、何も感じることもないのかもしれないですぜ。
多分、みんながみんな主人公として生きてる。
秀でればそれで世界が変わるわけでもなく、逆もまた然り。
主人公として秀でようが秀でまいが、それで何か重要な事が決まるわけでもないと思う。
それに、ルールもそこまで詳しくあるわけじゃないのに、トップもクソもないぜ!
やり方とか思っている事とかも違いがあるんなら、自分のやり方(≠省みない、変えない)でやるしかないんだと、最近は思いつつあります。
競うつもりでやる事もできるけど、それが全てでもないしね。
時に競って時に競わない。自分のやりたい事があったりなかったり、別になんでもいいんじゃないかと。
そうやって来た事や、軌跡のようなものも込み、軌跡とはまったく別方向へ行こうとしてる事とかも込みで自分な訳だしさ。
興味があったら、なんかすればいいんだと思うんだ。それでも疲れてたら休めばいいし。時には逃げたり、立ち向かったりすればいい。
なんか言いたくて書き込んだんだけど、まとまんないわ。
でも、案外綺麗にまとまる事なんて、まとめようとも思わない限り難しいのかもしれないね。
まあ、それでも別にいいんだ(笑)
このとめどなく溢れる思いを、ど(長いのでここまでにします。長文失礼しました)