はじめまして^^
病気もない人に余命宣告は難しい話だねぇ。
あなたのことは全然わからないから、的確なアドバイスは出来ないけれど、話がくどくなったらごめんね。
んー、辛かったら弱音はいてもいいんじゃない?
あなたが生きていることは、百歩ゆずって他人には意味がないとしても、それはきっと今だけなんじゃないかなー?
成長するにつれて、出会いも多くなるし、大切な友人がきっとたくさんできると思う。(環境は変えられるぞっ)
他人には関係ないんだろうけど、あなたがあなたらしく生きていくことが、きっとあなたにとって意味があることで、経験しなくてはいけなかったのかもしれないね。
平たく言うと・・・生きていくことは簡単じゃないけど、色々な苦労があなたの人格をより大きく強いものにするためにあるのかなー。
んー、余命宣告かー。余命の少ない人のお世話をすると見えてくることがあるかもね。
たとえば、ターミナルケア―(終末期医療)施設や高齢者の福祉施設とか、大きな大学病院の小児科なんかにボランティア行けると一番いいかなー。
小児科は特に色々感じることや考えることが多くあると思うよー。
あとは、アクティブに動くのも難しいならとりあえず、関連本でも読んだらどうかな?
あとね、辛くなったら逃げるのも全然アリアリよ。
余命が宣告されればいいのにか・・
わたしも、それが長かったから、つまようじの先くらいは
何言ってるのかは、理解出来ます。
その道を、通って、なにを思うかと言えば、
私も、3通目さんと同じなんです。
それは、残酷かと思いきや、
空気のように扱っていたとおぼしきひと、
そう扱われていたと、感じる自分、みなそこは
平等なんです。
選択権も等しくあるし、寿命というタイムリミットのない人はいない。
(長さはまちまち。でも、皆、必ず、灰になっておわる)
死ぬという、生まれたときから
からだのなかに含まれているものを、自覚して
見る羽目になったとき、
リミットありきとわかっているからこそ、
「焦り」がわたしは、出て来たよ。正直に書いちゃうけど。
慣れない気持ちだから、焦りもあるのに、自分の人生を生きるというのが、とてもこわいよ。
したことないもん。
誰かに、イエスノーは、常にお伺い立てないと
不安で仕方ないもん。世間の正しさに、
当てはまっていないとこわいもん。
おかしいよ、それ、って、ほんとは思ってるんだけどね。
おかしいよ、やりたくないよって、ほんとは思ってるから、
そっちを、少しずつ、本音のほうに添って、
暮らす努力はしているよ。
少しずつ、ラクに息が出来るようになれるといいなって
思って暮らしています。
ヤベー!文が長すぎ。
メメントモリ、死を忘れるな、です!
まいたん