失ったもののために葬式をあげることすら許されなかった。
みんな話が通じない。
涙することすら私には許されない。
私は、泣いちゃいけない。
泣いたら、みんなが、バケモノを見るみたいな目で見てくるんだから。
泣いたらいけない。
どうして泣いちゃいけないの。
あの頃の私に泣き言を言うことすら許さなかったみんな、苦しむ私よりという実像よりも無能でいつも通りの私という虚像を選んだみんな、私を見捨てたみんな。
どうしよう……って、私は、助けてほしいって言ったのに、あの頃の私に待っていたのは信じていた人間からの心の底からの冷たい無関心と拒絶。
「どうしたの?」
「大丈夫?」
それすらなかった。
それすらなかった。
誰一人として、私に関わりたくなさそうだった。
無理して話題を避けようとするみんなに私がちゃんと話を聞いてほしいって怒ると、その瞬間、全ての人が私を腫れ物を、バケモノを見たかのような目で見つめてきた。
ある人はそんな私を「ヤバ……」とまで言った。
それがある意味決定的な傷になったのか、その瞬間に「ああ、この世界で私に興味を持ってくれる人間なんかいないんだ。たとえそれが家族や友達でも」って思った。
それでも希望を捨てずに色々頑張ったけど、それもさらに絶望を深めるだけだった。
それから私はバケモノみたいな私を隠して、バケモノを怖がった人たちとは今も人間関係が続いている。
私って生きてるのかな。
誰も私を見ないのに、私ってどこにいるんだろう。どこに生きてる意味があるんだろう。
大切なものを失っても、その存在を誰も認めてくれない。最初っからそんなものなかったみたいに。
ずっと絶望してる。
人が求めているのは私という人間そのものではなく、ただ、私という人間のもたらす虚像だった。
けど、そんな人達を完全に糾弾しきることもできない。全ての関係は、多かれ少なかれそうした仕組みで成り立つものだから。
ああ、死にたいなあ。
だって生きてる意味なんかまるっきりないんだもの。
私が一番重要だと思ってたものの存在は誰も認めてくれなくて、みんな思い思いの存在を私に投影する。
投影自体は悪ではないが、私に抱かれる感情の正体がそれだけであるなら、私はただのスクリーンだ。
それともいっそ、バケモノになればいい?
どうして誰も理解してくれないの、どうしてみんな見ないふりするの、どうしてそんな酷いものを見たみたいな目をするのって
泣いて、怒鳴って、殴って、暴れて、そうやって存在を主張すればよかった? 話のまるで通じないNPCどもに。
いまさらこんなふうに涙がたくさん出てきたって、もう全部遅いんだよ。
あのときにとにかく否定されまくって蔑んだ目で見られて無視されたのがトラウマになって、誰に話したところで、こいつもどうせ否定するって思うようになった。
だから、ただ中立的に話を聞いてるだけの人にすらも被害妄想をちょっと働かせるようになってしまった、ような気がする。
私って死んだほうがいいのかな。いや本当に、真面目に。だってどうせ、こんなの、一生苦しいままだし。
これは病気じゃないんだからお医者様の管轄ではないし、カウンセリングだっていろいろ模索してみたけどダメで、いまから新しく探そうったって選択肢は膨大で、お金のことも学生には重いし。NPC の親の手は借りたくないし、借りたら、もっと苦しくなりそうだし。
今ベランダから真っ逆様に落ちたら、多分それで終わり。
それも、いいかもな。
でも『17歳のカルテ』のデイジーみたいな終わりだったらいいな。
なんかあの映画、個人的には本当に全然好きじゃないんだけど、あのシーンだけは好きだったから。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください