誰にも愛されていないような気がします。
そんなはずはない、母くらいはちゃんと愛してくれているはずだ、とか、友達だっているじゃないか、と一生懸命否定します。
でも、帰省しても、母は一人暮らしを始める前ほど、私と向き合ってくれません。
私が一人暮らしを始めてから、母は自分の趣味に生きているようです。
話しかけても、生返事ばかり。私の話は聞かないくせに、自分の趣味の仲間の話ばかりします。私にはそんな仲間がいないんだよ、と言い返すこともできません。
友達がまったくいないわけではありませんが、友達とは言っても、授業のときに話すとか、ノートを貸し借りするとか、そのくらい。教室を一歩 出たら、もう他人です。
にぎやかな大学のホールで一人きりでお昼を食べていると、自分が空気に溶けてしまうんじゃないかとあらぬ心配を始めます。
最近では、お店で店員さんの対応が悪いとき、「実は店員さんには私のことが見えていないんじゃないか?」と思ったりします。
文字にすると笑い話みたいですが、深刻にそう思って、そしてそのあとで「やっぱり私は世界中に無視されているんだ」と落ち込んでしまいます。
いつもなら春がきて日差しが暖かくなると気分も上昇するのに、今年は真昼間でも、買いたかったものが買えた帰りでも、泣きたい気分で歩いていたりします。
誰かが、私のことをちゃんと見ている、愛情を持っていると分かり やすい証拠でも示してくれたら良いのにと、そればかり願う毎日です。
このままでは、本当に誰にも見えない透明人間になってしまいそう。
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ななしさん
すごく、よく分かります。
私もそんなことばかり考えてた時期がありました。
今だって、時々考えます。
愛される側に固執するのでなく、積極的に誰か・何かを愛する側に回るしかないのかもしれません。
あるいは、自分を愛することで、自分に愛されることです。
何かを一生懸命やっている人や、楽しそうにやっている人は、素敵に見えませんか?
そういう人になりましょう。
あと、何かに集中していたら孤独感が紛れますし良いと思います。
ごく個人的には、特定の個人や、政治・宗教活動を除いた何かに熱中するのがベターかと。
ななしさん
でも少なくとも貴方のノートを必要としてくれる人と貴方にノートを貸してくれる友達は居るんですよね?
ななしさん
貸し借りができるなら友達といってもいいのでは?
対等な立場でないとどちらかが借りっぱなしになりますし、親からも生返事があるなら、あなたは透明人間ではなく認識されています
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