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ニューロダイバージェンスということば。
横文字では neurodivergence。
日本でも2020年代から広く使われだしたが、NHK が取り上げないことからも、世間にはあまり浸透していないようだ。
平たく言うと「脳・神経の態様に由来する多彩な表現型(≒精神疾患)」となろうか。
一方、もう少し大きな「脳・神経の多様性」という抽象的、包摂的な概念を指すときは、ニューロダイバーシティ neurodiversity と言うことが多い。
こちらは「神経発達症(*)は能力の優劣や欠如ではなく、個性の違いからくるもの」と捉える考え方のこと。
テレビでもネットでも“病気ではなく個性”というフレーズを見聞きしたことのある人は多いと思う。
*:発達障害の新しい呼び名
興味深いことに、上の2つはどちらも医学用語ではない。
ニューロダイバーシティは1998年に初出の造語で、オーストラリアの社会学者 Judy Singer が提唱した。
その具体例が「ニューロダイバージェンス」ということになる。
Divergence には、もともと「二物間の相違」とか「2点間の変化量」といった意味があって、"two" の存在感が強い。
これが neurodivergence ということばになると、「2以上にたくさん枝分かれした結果としての、表現型一つひとつ」という感が出てきて、必ずしも "two" にこだわらない「ダイバーシティ」に寄せた意味合いになるのが面白い。
さてさて、本題。
ニューロダイバージェンスに関する資料に目を通していると、こんなことばが引っ掛かった。
発達障害人材
これを見たとき、第一印象として強烈な社会的スティグマを感じたのだ。
「神経発達症をもつ人材」と表さずに、複合語という便利なカタチをした烙印を押していく——それも、領収印のようにポンポンと。
おそらく、これを考案して使い始めた人物は——あるいは組織かもしれないが——他に何も意識することがなかったのだろう。
もっと言えば“考案”すらしておらず、たまたまポッと出たものが丁度よかったので使っただけ、そんな話なのかもしれない。
仮にそうだとして、そんなポッと出みたいな単語で「神経発達症をもつ人材」を包括していいのだろうか。
この瞬間にもどこかで声高に叫ばれる“インクルーシブ”の声が、ただひたすらに空虚に響く。
インターネットに転がる、会社の人事担当と思しき人物からの相談事を目にした。
「中途採用の折、前職・前々職での経験や実績に目がくらんで雇い入れた従業員が、神経発達症を患っていることが判った。中小企業で障害者雇用枠もないのでできるだけ早く解雇したいが、病歴詐称からの諭旨解雇ルートに持ち込めないか」との話だった。
今の時代、すごいことをネットに平気で書き込むものだな……と、半ば呆れて眺めていた。
その従業員はクローズ就労のつもりで応募したのだろう。
人事も一般枠で受け付けているのだから、詐称もなにも、応募者に病歴公表の義務はない。
結局のところ「障害者排除」以外の何物でもなく、会社側の思惑には違法性もある。
まず、ネットに書き込む前に社会保険労務士に相談すべきことだが、それを知らないとしたら、この人事担当も残念な人というほかない。
回答者のひとりが書き込んだ内容はこうだ。
「最終的に依願退職へ追いやったうえで、給料3ヶ月分で決着つけたらどうか。中小なら3ヶ月が相場。ちょっと持たせたとしても、そういうのは早く掃いちゃうに限る。どうせ居場所ないんだから」。
正直に言って、ここまで visible にする必要があるのだろうか、と思う。
そういう会話をするにしても、裏でやればいい。なぜ見せたがるのか理解に苦しむ。
理想と現実のギャップは、きっと世の中の想定よりもずっと深くて、見えないもの。
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