最近、自分自身に愛想が尽きそうになる自分がいる。
入院の運びで退所された方が亡くなっていたらしい。
おいらは知らないまま、絵手紙の決まりでその方のご家族代表にも出した。
後日、ご家族が来館されて亡くなった旨伝えられ、おいらも知った。
不甲斐ないのは、知った数日後、その方の関係書類を見かけてだ。
うつだった。
知らなかった。
本当は知らなくてはいけない情報。
手抜きの仇になった。
おいら、自己満足でしてやった感満載だったから。
うつ状態になって知ったけれど、辛いよ、うつも十分に。
何もできないまま、食欲の低下を見て見ぬふりして日勤帯は家で風呂で口笛吹いて慣れた糖質の悪魔とじゃれあっただけ。
社会復帰したんだよ。
やったのは、心配のふり。
一人にかまけられなくたって、心配りは出きる余裕もあった。
報いは来たね。
つい最近、亡くなった方の元気な姿を暗がりにはっきり見た。
妄想か、現実か。
分からない病が始まった。
愚痴ってすみません。
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ななしさん
関わっている人が亡くなると、
「たられば」は、大なり小なり出るのではと思います。
小瓶も、ずいぶん前に読んでいて、何かお返事を書きたいな。。と
思っていたのですが、
その時点では、掛ける言葉がなにも浮かびませんでした。
小瓶主さん、に限らず、良い人と言われる人、悪い人と言われる人
そういう、カテゴライズを全部取っ払った上で。
どの人も(あたしもだ)、いつも、その時なりの精一杯の中で
ベストは尽くしていて、今の状況、なのだと思っています。
(眠たい人は眠たい人の精一杯、めんどくさがってる人なら
めんどくせーから、これくらしかやらない、これもその人の精一杯)
私事になりますが、私も、身内が3年前に亡くなりまして、
結構、最近まで「あのときこうしていれば」の波が頻繁にありました。
確かに、そのときに気がつけていれば、現実が変わっていた部分も
大きいかもしれなかったです。
でも、同時に、それが出来るとしたら、悲しいけど、
今の状態になった自分だから、
その考え方で、ものが見れるわけで。
その時の自分自身は、未熟でもあれはあれで精一杯。
その時の自分が、最低限でも今の自分レベルの資質を得るまでの、
心の訓練をしていないのに、それを当時の自分に求めてること自体
無理がある・・ということでもあるな、と思いました。
今、出来ることを、たぶん、ね。
やっていくで、生を進んでいくしかないと思うんです。
小瓶主さんも、それを、償いとは思わないでください。
一つ、厳しいことを書くと、どんな状態にいる人でも、
(亡くなられた方も含め)
どんな人でも、自分自身で、迷子になってしまった道から
軌道修正出来る力は持ってます。
使ったことがない人は「ない」と断定しがちですが。
他人が出来ることは、そのアシストのみです。
助けてあげる~・・なんて、発想自体、おごりです。
そして、そのアシスト自体、いつもよいタイミングで出来るとは
限りません。
他人が他人に出来ること、寄り添えることの限界です。
たくさん休んで、また、ゼロからやりましょう。
その時のゼロは、ただのゼロではない、いろんな気持ちや
経験が肥料になった、フラットな土壌のゼロだと思います。
長くてごめんね。(やさしくなくてごめんな)
まいたん
ななしさん
私も昔介護職に就いていた時に前日の昼間まで元気だった方が翌朝部屋で亡くなっていたということがありました。
施設は看取る場所じゃないので大問題になりました。
警察も介入しました。
私はシフトに入ってなかったのですが、その晩に夜勤だった人達はまたいつもの不定愁訴だとあまりきちんと対処しなかったそうです。
静かになった頃には亡くなっていたのかも。
トピ主さんはもう十分反省された。
ご家族には気の毒ですが気持ちを切り替えて次に活かしましょう。
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